阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

ランダムにサンフレ昔話 その9 クレドのPV

2014-04-18 18:55:55 | サンフレ昔話

 今回は02年の降格について書いてみる。この年を総括する能力はないので、いくつかのシーンを点描してみたい。この年の誤算がヴァレリー監督の突然の辞任から始まったのは明らかであるが、そこは他の人も書いているところだから省略する。

 私が最初にガジエフ監督を疑問に思ったのは開幕前、2月27日の天津との練習試合(ビッグアーチ)だった。開幕4日前ということで久保、大木はスタートではなくて、2トップは梅田直哉と中山元気だった。梅ちゃんはポストプレー、元気はサイドに流れて起点にはなっていたけれど、この組み合わせでは点が取れそうになかった。ガジエフはフィジカル重視、それだけではなくて日本人の特性がよくわかってないのではないかと感じた。4日後の開幕札幌戦のスタメンを書いておこう。システムは4-4-2で中盤はダイアモンドだった。

 

FW 10久保、20大木

MF 11主税

MF 7コウジ、16梅田

MF 8カズ

DF 3沢田、31ビロング、2川島、5駒野

GK 1下田

 

 開幕戦は5-1で快勝、右MFに抜擢された梅ちゃんは3節京都戦で決勝ゴールをあげてチームは2勝1敗のスタート。しかしそのあとは4試合で1点しか取れなかった。3月23日、リーグ戦のない週に吉田でJFL愛媛FCと練習試合があったが互角の内容で2-2、愛媛FCの大西貴選手兼監督に「サンフレやばいんじゃないか」と言われてしまう。

 W杯の中断期間に入って、5月3日のユースの試合の時に今西総監督と話す機会があった。今西さんの話によると、守備がしっかりしていないのが一番問題。ビロングは試合に出てないところを急に呼び寄せたためオーバーウエイトだった。しかも体重を急に落としたために体調がよくない。実力はロシアリーグでトップクラスのDFである。そして、現状はリーダー不在で声が出ていれば防げた失点が多い。闘志のあるトゥーリオを起用してはどうかと助言していると話された。今西さんの総監督という立場は現場の監督に対してこういう話をする権限があったことがわかる。翌年、今西さんが降格の責任をとって辞任したあとに高田さんをGMとした理由について「織田(強化部長)はまだ若いから高田さんにGMとして来てもらった。日本人監督(小野さんのことを指す)になったら総監督は必要ない」と今西さんは言われた。このことから、今西さんの概念では総監督はGMより広い権限を持っていたということがわかる。昨年今西さんがEスタに来られたときに元GMという肩書きだったと思うが、私の記憶では今西さんはずっと総監督でGMと呼ばれていた時期を知らない。話がそれた。

 そのあと5月25日のアイルランド代表との記念マッチ(出雲浜山)は久保のゴールで先制したもののロビーキーンの2ゴールで1-2、しかしこのゲームはトゥーリオ、ビロング、川島の3バックがよく守っていた印象がある。

 私が印象に残っているのは6月15日のSC鳥取との練習試合(吉田)。ベストメンバーを組んで臨んだが素人目にもダメな内容だった。主税とミロのゴールで2-0だったけど、この2人以外のモチベーションは高いとは言えなかった。Bチームならともかく、トップチームのモチベーションがここまで低いのを見るのは初めてだった。今西さんと目が合って、今西さんもさえない表情だった。突っ込んで聞かなかったけれども、監督交代に動くのは間違いないと思った。

 しかし、ガジエフ監督の辞任が発表されたのはそれから一ヶ月近くたってからだった。違約金がかからないようにしたいふところ事情があったのかもしれないが、中断中のキャンプをガジエフでやってから交代というのはいかにももったいないことだった。中断明けの第8節は木村ヘッドコーチが指揮をとり、9節から木村監督ということになる。しかし、1stステージはガジエフ監督の7試合で勝点7、木村監督の8試合で勝点3であった。シーズン通してみれば、この時期の不振が降格につながったともいえる。中断期間中にすばやく対応できなかったことが悔やまれる。

 2ndステージに入って、小野剛コーチが就任。ウィキによると、9月に就任して10月に監督権限を委任されたとある。しかし、私が見た9月13、27日の前日練習は両日とも小野コーチが仕切っていた。小野さんは生き生きとエネルギッシュで小野さんのワンマンチームという印象だった。当初はそれまでの4-4-2をベースに、シーズン終盤には小野さん得意の1トップ2シャドウも見られた。

 しかしながら、チームは劇的には好転せず、降格の日が近づいてくる。11月2日、吉田での紅白戦では、Bチームに入っていたトゥーリオがAチームに向って「いい攻め全然なーい」と怒鳴る。この年の特徴として、見に行ったら誰か1人が目立ってる。梅ちゃんだったり、主税だったり、小野さんだったり、トゥーリオだったり。ってことは全体的にはモチベーションが上がってないということなんだろう。小野さんの評価は低かったのかもしれないが、この時期のトゥーリオは使ってみてほしい選手だった。

 そして11月30日の最終節札幌ドーム、私は基町クレドのPVに参加した。自力残留はなく、残留のためには順位を逆転しなければならない神戸や柏の得点シーンが映し出されて絶望的な状況、4-4で延長に入った瞬間に降格が決まった。この試合ではGK下田が負傷して林卓人がJ1デビューとなった。ゲームはVゴール負け、翌年J1は延長が廃止されたから、Jリーグ最後のVゴール負けと言われている。2ndステージは15試合で勝点16、通年で勝点26は一つ上の神戸に勝点5足りなかった。

 私の隣で見ていたアテネ世代の女性3人は試合終了後泣き出してしまって、そしたらテレビカメラが寄って来た。それで思わず石井のモモちゃんにあっち行ってよと言ってしまった。その時はそう言うしかなかった。

 翌12月1日、私はユースの天皇杯を応援するため大分市営に向った。トリニータは逆にJ1昇格を果たしたシーズンで、駅前のビルには祝J1の懸垂幕がかかっていた。開門後幕を張って準備していたら知り合いの大分サポや大分市在住の鳥栖サポが来て慰めてくれた。「J2は楽しいよ」と言う人もいた。実は他サポに慰められてるこの時が、一番つらかった。以来私は降格した他サポに対しては、何も声をかけないことにしている。

 そのあと12月22日、天皇杯Fマリノス戦(愛媛県陸)で久しぶりにサンフレの勝利を見て、この時は本当に嬉しかった。サッカーは、明るく楽しくないといけないと思った。そのためには、できるだけ降格したくないもんじゃね。あるいはゴリさんが平塚で降格して「明るくてすみません」と言ったように、次回は明るく降格してみるか。その前に、07年についても書かんといけんね・・・

 

 

 



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