9回目は1999年12月26日(日)15時キックオフの天皇杯準決勝、ヴェルディ川崎戦について。
仙台での準々決勝から中2日、準決勝は長居でヴェルディとの対戦。中に入ったらJユースカップを決勝をやっていて、コウジたちが敗れたF・マリノスユースが戦っていたが、2-0のスコアで神戸が優勝という結果だった。ただ、次にサンフレのゲームが控えていると思うといまひとつ集中して見られなかった。3年後には立場が替わってユースの応援に来る事になったのだが、その時は天皇杯準決勝のためスタンバイしていたジェフサポがタイコを貸してくれた。前座でJユース決勝をやっていた頃の思い出だ。話を戻す。
サンフレのスタメンは仙台戦と全く同じ。石塚に先制点を取られてリーグ戦だとずるずる後退するところがなぜかこの天皇杯ではあっさり前半のうちに逆転、2-1でハーフタイムとなる。しかし、沢田とフォックスが負傷交代で喜べる感じではなかった。
ところが後半は川島のゴールを皮切りにゴールラッシュ。もちろん、トーナメントだから負けている相手がリスクを負って攻めてきたということもあるが、それにしても後半5点で7-2の勝利は驚きだった。主税がハット、ユタカが2点、あとは川島と大久保の得点だった。ゴール裏はお祭り騒ぎで子供たちやにわかファンも集まってきて後半はすごくにぎやかだった。トムソン監督時代のサンフレはとにかく地味な印象で、セミファイナルで7点は本当に何が起きたのかと思った。「国立に行こう」と何度も歌っていたけれど、私は大阪18時が18きっぷのリミットなのでお先に失礼した・・・
(翌日の中国新聞、右端がカズ)
負傷者が2人出たこともあってカズはフル出場。終盤はきつそうだったが3人目の交代は主税だった。これでいよいよ元日国立のピッチに、高校生のカズが立つ事になった。また、沢田の負傷によって、コウジや駒野にもベンチ入りの可能性が出て、残りの練習でチャレンジする事になる。世間は2000年問題が大詰めで、元日の交通機関が平常通り動くかどうか様々な情報が飛び交っていた。飛行機が落ちるという不穏な噂もあった。まさか自分たちに関係のある話だとは思っていなかったのだけれど、サンフレサポは東京入りの方法について頭を悩ませることになった・・・
(1面にも決勝進出の記事が載った)