阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

雑煮

2019-01-02 10:28:49 | 郷土史

 我が家では元日の朝食は午前八時、全員が席に着いてまずおめでとうございますと言ってお屠蘇をいただき、それから食事。お雑煮は神棚にお供えした後すでに食卓に出ている。父はすぐには雑煮に手をつけず飲み続けるから冷えてしまって温めなおす、いやいらないという問答を毎年のようにやっている。しかし随分前だけど何かの漫画だったか、江戸っ子はご馳走を食べた後で雑煮で〆るみたいなことが書いてあって、うちとは違うんだな、父はこの方が良さそうだなと思った。最近、貞国の狂歌を調べる過程で色々な地元の文献を読むうちに、小鷹狩元凱「廣島雑多集」の中に、広島の武家における元日の雑煮についての記述があった。

「一の坐敷に全家列坐して祝辞を述べ、本膳の前に最幼穉者よりして屠蘇酒を飲み始め、其盃を漸次に年長者に献ず、最年長者に至り之に加へを為して飲み、再び順次に年少者に向け酬盃す、最幼穉者は戻り来れる盃にて戴き飲むを以て畢りとし、引續き雑煮を食す、之を年首第一の家儀とせり」

うちでは杯の回し飲みはしないが、祝辞、屠蘇、雑煮という順番は変わらない。それでは他地区ではどうだろうかと検索しても中々出てこない。雑煮の具や汁の地方差を書いたものは数多あれども雑煮を出すタイミングを書いたものは少なく、あってもやはり最初にお屠蘇と雑煮はセットで書いてある。たとえば大正4年「収穫」には、

「先づ明けまして御芽出度う。旧年中は種々と御世話様になりまして、本年も尚相変はらずといつて、一家親類知己朋友互に賀詞を交換する。それから御馳走に出すのが屠蘇と雑煮といふのが、則ち我が邦古来の新年の風俗で、屠蘇機嫌の上戸党、雑煮機嫌の下戸党、一年の苦労を忘れて千門萬戸和気藹々たるは松の内の景色である。」

とある。江戸っ子はまず他の御馳走を食べたのかどうかわからないが、今のところは最初に屠蘇と雑煮で間違ってはいないようだ。

各地の雑煮の写真を見ると色どり豊かにどれも美味しそうだ。雑煮を出すタイミングで悩むのが馬鹿らしくなってくる。写真の盛り付けでは小松菜は餅の上だけれども、某ばあばのレシピでは、お椀にまず小松菜を敷いて、その上にお餅を置いていた。お正月のお椀は普段は蔵の中にしまってある大切なもの、お餅がひっついて漆がはがれてしまったら一大事ということのようだ。うちにもそういうお椀があったはずだが、物置で眠ったままになっているような気がする。



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