今年も桜の季節になりました。しかし疫病蔓延で大変な世の中、私も日々お薬師様やアマビエ様アマビコ様そして少彦名命にお祈りしておりますけれど、一向にトンネルの出口が見えません。一昨日は延期になったオリンピックの日程が決まったというニュースがありました。とんでもなく愚かな、鬼が笑うとはまさにこの事でございます。来夏まで生き延びられるかどうか、全くおぼつかない事でございます。
もちろん最近はサッカー観戦に出かけることも出来なくて、家にいることが多く、ストレスもあって体重が増えて行く一方です。好きな言葉ではありませんが、引きこもりも決して楽な生き方では無いことを知りました。思い切り声を出してサッカーを応援するのは一体いつのことになりますやら。そういえば最近、夜中に寝ておりますと、どこかから動物の鳴き声がする。うちは山が近く、鹿はよくやって来ます。しかし、鹿のピイという鳴き声とは違う。メエと聞こえるのです。それもどうやら隣の四畳半、フラッグやユニフォーム等応援七つ道具が置いてある部屋から聞こえるような。色々考えてみますと、最近は騒音問題からタイコを叩けないグランドが多く、代わりに持って出かけるヤギ皮のタンバリン、これが夜な夜な啼いていると思われます。ヤギも狭い四畳半に押し込められているのが嫌なのでございましょう。
さて、このような日々を、いかに生きるべきなのか。辞世の歌を詠んでおく、というのはいかにも後ろ向きでございます。仏門に入ることも考えましたけれど、こないだ写経した薬師瑠璃光如来本願功徳経には、話題の歯磨きうがい手洗いの後のくだりで、坊主にしっかりお布施しろと書いてありました。宗教というのはそういうものでございましょう。いや、宗教でなくともお金がなくては生きていけませんけれども。とにかく、出家にも費用がかかるようでございます。それではどうやってこの陰鬱たる日々をやり過ごせば良いのでしょうか。昨日、春名風花さんのツイッターで、「沁みる」という漢字の使い方が話題になっていました。調べてみると、中国には「沁人心脾」という成語があって、体にしみわたり人を気持ちよくさせる、また、文学詩歌が人をすがすがしい気持ちにさせるという意味でもあるようでございます。今必要なのは、まさにこれ、文学詩歌芸術ではないでしょうか。芸術の分野は今は自粛で大変厳しいと聞きますけれど、国の方でもなんとか考えてもらわなければなりません。そして、すがすがしい気持ち、長く忘れていた感情かもしれませんが、この言葉を見た時に、あなた様の事を思い出しました。今年はシートを敷いての花見は自粛とのことでございます。それなら、桜餅でも食べながら、桜の下でお話したいものでございます。いや、ふられたのを忘れた訳ではありません。ちゃんとソーシャルディスダンシング、2メートルの距離は守るつもりです。 桜餅は松江のが好物ですが、今は移動も自粛で買いに行く訳にも参りません。その辺ので結構でございます。桜の木の下で、文学詩歌についてすがすがしく語り合おうではありませんか。来年まではわかりませんが、なんとかこの四月を生き延びて、五月の風に吹かれたいものです。桜の咲き誇りたる卯月の始めの日に、あなた様の事を思ひ出でて、一筆申し上げ参らせ候。めでたくかしこ。
たれこめて君のくちびる思ひ居れば闇夜に May とヤギ皮の泣く