阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

狂歌家の風(22) 御意をいたゝく

2019-01-06 14:19:54 | 栗本軒貞国

栗本軒貞国詠「狂歌家の風」(1801年刊)、今日は雑の部から二首、

 

      筑後柳川侯に御目見へ 
      つかふまつりける時 

  有難やこのみに取て上もなきたち花様の御意をいたゝく 



      御盃頂戴の折から 

  さも重き御盃をいたゝいて軽いあたまのあからさりけり 


今回も前回に続いて貞国と武家との関係について書いてみよう。この二首はどういういきさつかわからないが、筑後柳川の立花公にお目見えした時の歌とある。ウィキペディアの柳河藩の項を見ると、狂歌家の風の出版の4年前の寛政9年(1797)に代替わりがあり、貞国が会ったのは7代鑑通(あきなお)公なのか、8代鑑寿(あきひさ)公なのかはっきりしない。これは柳河藩の資料を探す必要があるのだけれど、こちらの図書館では難しそうだ。歌をみると、「御意をいただく」はあまり見かけない表現で用例もすぐには見つからず、当時一般的な言い方だったのかどうかよくわからない。一方「御意を得る」は用例が多数出てくる。ただ、「初めて御意を得る」と面と向かって言うのは、行きずりの武士同士みたいなケースで、殿様に向かって言う例は見つけられない。実際はもっと丁寧な言葉だったのだろうか、探してみたい。しかし気になるのはそこだけで歌の内容的には、お目見えして杯をいただいた、それだけの歌だ。序文で先師貞佐との関係よりも持豊卿から栗本軒の額をいただいたことを強調しているのと同様に、柳川公にお目見えした歌を載せるのは貞国の狂歌壇のために重要なことだったのだろう。しかし、この二首は武家との関わりという点では特殊なケースであって、これを除くと狂歌家の風で武家が登場するのは夏の部の一首だけのようだ。


       武家納涼 

  あつさ弓夕への風の涼しさにぬいたるかたもいるゝものゝふ 


夕風の涼しさに脱いで出していた肩を入れる武士、という、こちらも無難な歌になっている。武家を詠むことはタブーではないが、このあたりが限界なのだろうか。問題は最初の「あつさ弓」。梓弓といえば張る、春、引くなどにかかる枕詞で、この歌でかかりそうな語句といえば「いるる」だろうか。しかしここは射る(ヤ行上一段)ではなく現代では入れるという意味の「入る」(ラ行下二段)なのだが、これでいいのだろうか。前に書いた仮名違いもアリだったから、貞国としてはこれで大丈夫なのか。最初の「あつさ」を言い出したかっただけで、弓を夕に言い換えたような事かもしれない。

貞国と武家との関係は、狂歌家の風ではこれぐらいしか手掛かりがない。私の御先祖様は武家でありながらどうして貞国の掛け軸を子孫に伝えたのか、まだまだ調べてみないといけないようだ。




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