栗本軒貞国詠「狂歌家の風」1801年刊、今日は秋の部より一首、
二王門月
二王門てる月影に浮雲よ出さはつて握りこふし喰ふな
浮雲よ出しゃばって月を隠して仁王様の握りこぶし食らうなよと、比較的わかりやすい歌だ。ひとつ問題になるのが、「喰ふな」は「くふな」か「くらふな」のどちらなのか。現代の送り仮名の感覚だと「くふな」と読みたいところだが、「こふし喰ふな」で七文字だとすると「くらふな」が有力になる。もうひとつ、初期の広島藩学問所で古学を教えた香川南浜が天明年間に記したとされる「秋長夜話」に、
広島にて人を杖うつをくらはすといふ、
と出てくる。鉄拳をくらわす、といえば全国で通用するだろうが、ただ、くらわす、と言うのである。宝暦九年(1759)「狂歌千代のかけはし」の中にも、くらはすの用例がある。
卯の花 一峯
此花を折れは其まゝくらはすと親は卯の花おとしにそいふ
作者の一峯は貞佐の門人で吉田(現安芸高田市)住とある。「卯の花おとし」がどのようなものか、はっきりわからないのであるが、ここでは親が子に「くらはす」と言っているようだ。以前に「がんす」の用例を調べた民話の本にも、おさん狐に化かされた男が、
「ようし、江波のおさん狐めや、今度出会うたら、ぶちくらわしちゃるんじゃけえのう」
(日本の民話22 安芸・備後の民話1)
と捨て台詞。たしかに、私の昔の友人にも、くらわしたろうか、にやしたる、ぴしゃげたる、しごうしちゃる等不穏な方言を連呼する乱暴な男がいたような気がする。
以上のような事から、「喰ふな」は、「くらふな」の方に私の中では傾いているが、確信とまではいかない。
次に、狂歌家の風には、握りこぶしが出てくる歌が他にも二首ある。紹介してみよう。まずは春の部から一首
陰陽師採蕨
占も考て取れ早わらひの握りこふしの中のあてもの
わらびを握りこぶしに見立てて、中に何が隠されているか当て物をしながら採るという趣向だろうか。しかし、陰陽師のいでたちで占い、当て物をするようなパフォーマンスがあったのか、簡単そうに見えてどんな情景を思い浮かべたら良いのかわからない歌だ。江戸時代の占い事情などもう少し調べてみないといけない。
次に、哀傷の部から一首
先師桃翁在世の折から所持し給へる二王の
尊像に欲心のにあふ所を打くたきうちくたく
へき握りこふしてとよみ給ふを思ひ出て
目をこする握りこふしておもひ出すうちくたかれし人の事のみ
桃翁とはもちろん貞国の師匠である桃縁斎芥河貞佐のことで、詞書にある仁王像と欲心の歌は丸派によって享和三年(1803)に出版された狂歌二翁集のモチーフにもなっている。仁王とかけているのだから「欲心のにほふ」が正しいと思うのだけど、ここはいつか原本で確認したい箇所の一つだ。貞国の歌、目をこするしぐさで握りこぶしを持ち出したのは良いが、「うち砕かれし人」とは貞佐のことだろうから、現代人の感覚だと表現が適切ではないような気もする。貞国は貞佐の晩年の弟子で、どうも貞佐を語ろうとするとうまくいかない。また貞国が哀傷の歌はあまり得意ではないというのもあるだろう。
もっとも、貞佐の欲心の歌は一門の中で知らない人はいない有名な歌であるから、最初の仁王門の月の歌も、貞佐の歌が下敷きにあることは間違いないだろう。こちらについては、欲心と握りこぶしというテーマを貞国らしく再構成した一首と言えるのではないだろうか。