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Retro-gaming and so on

ファンタシースター ~千年紀の終りに~

今や見る陰も無いが、往年(1990年代)の日本のゲーム機は、RPGがたくさん遊べるかどうか、が良し悪しの評価になっていた。
それで言うと、セガのメガドライブと言うプラットフォームは最悪だった。何せ、ぶっちゃけ、「マトモに遊べる」RPGが(メガCDのRPGを除くと)3本しかない。



メガドライブは1988年登場で、(一応)最後のソフトが1996年に発売されている。
つまり、8年の歴史でマトモに遊べるRPGがたった3本しかない、と言うのは・・・多いのか少ないのか、って言うとやっぱ少ないんじゃないか。
ホント、その3本以外は基本ゴミである。評価が人によって分かれるだろう、と言う余裕さえない。

とか言えば、このブログ読んでる人は、

「あー、この人、随分とセガにキツイ事言うな。セガ嫌いなんだろ。」

とか思うかもしれない。うん。嫌いだ。
しかし昔はそうじゃなかったのだ。どっちかっつーとセガを応援していた。やっぱ純粋な日本人気質で判官びいきなんだよな。
当時は、市場の8割くらいを押さえている任天堂に立ち向かって行くヒーローっぽく捉えてたのだ。バカだろ(笑)?
ところが、かつてセガに居た人から暴露されてる情報を総合すると、セガは当時どうしようもなかった、と言う事がバレた。何せ、平たく言うと、セガ社内でメガドライブ向けにソフト開発してた人たちは冷遇されてた、と言って良い。どんなに良いソフトを作ってメガドラの売上に貢献しても給料が上がらない。どんなブラック企業だよ、ってのがかつてのセガに対しての評価である。
そんな会社が作ったゲーム機が市場で勝てると思うか?勝てなくて当然なのである。自分でやった成果が給料で反映されない、翻ると社内での評価に直結せんのだ。やる気が出るわけねーだろ。当然だわな。
当時のセガのスポークスマンは社長だった中山隼雄氏だが。


決して青島幸男ではない(謎
この人当時は割にイケイケな発言が多かったんだよな。あとヘッドハンターとして有名だった。ホンダだのイトーヨーカドーだのダイエーだのから幹部を大枚叩いてセガにスカウトしてくるのだ。その辺の行動が当時はカッコ良く見えて経済界的にはニュースになったモンだ。
・・・・・・メガドラのソフト部隊の給与は上げねぇのにな(笑)
いや、この人、アーケードのビデオゲーム黎明期に出遅れてメチャクチャ業績が落ち込んでたセガにスカウトされて社長になって、セガの救世主、って言われてる人なのは分かる。知ってる。
ただし、同時にセガをやっぱりダメにしてた張本人なのも間違いねぇんだよな。派手に動くだけで、社員大事にしてなかったんとちゃうか。っつーか、「アーケードが花形」と言う事で社員に格差作ってた人なんだよ、実際は。
セガファンは中山社長びいきで、中山社長を更迭(実際どうしてそうなったんだか詳しい事は分からんのだけど)したCSKの大川会長が社長になってからセガがダメになった、って言う人もいる。戦犯として大川功+秋元康がクソだったのだ、と。
でも違うと思う。元々セガはダメで、かつ中山社長時代から問題を抱えてたんだよ。少なくとも「家庭用ゲーム機ビジネスに参入する」と言う時点で任天堂程覚悟がないし、そういう意味ではNEC+ハドソン陣営程の覚悟さえ無かった。
家庭用ゲーム機ビジネスでプラットフォーマーは、業務用ゲーム機と二足のわらじで出来るような簡単な仕事じゃない、ってのをセガは分かってなかった。ナムコは分かってたから二の足を踏んだのだ。任天堂はアッサリと業務用を止めた。セガはどこまで行っても中途半端だったのだ。
かつ、既存ユーザーを大事にしないで、「とにかく新ハードを投入すれば何とかなる」と言う路線を作ったのもこの中山社長である。彼には「既存の市場を大事に育てる」と言う発想がなかった。だからサターンで一瞬成功したのに、そこで抱えた最大ユーザー数をドリームキャスト構想でみすみす「捨てる」と言う愚行を決断できたわけだ。
そしてこの方式はアメリカでも炸裂する。結果、北米版のメガドライブで市場の50%以上を押さえたにも関わらず、それを「捨てる」と言う愚を犯した。セガのアメリカ支社は日本本社に「メガドラ延命策」を懇願したのに、世界で最大のセガ市場を自ら消し去ったのだ。バカの所業である(つまり、実際問題、セガの性根は「国際的企業」でも何でもなく、グローバルな観点も戦略も何も無い、単なるローカル企業だと言う事である)。
任天堂はしぶちんで、スーファミを出す出す、って言いながらファミコンを延命させてた、ってイメージがあるけど、既存ユーザーを切り捨てない、って方針で考えるとむしろ任天堂は「正しい」し、ユーザーに寄り添っているのである。
こう考えてみると、任天堂は勝つべくして勝ち、セガは負けるべくして負けた、ってのが分かるんじゃないか。

いずれにせよ、いくら頑張っても社内評価が上がらないセガのメガドラソフト部隊。社内の立場が弱い彼らは何だか良く分からんRPGの路線を敷く、しか出来なかったのである。

さて、そのセガ初の内製RPGシリーズがファンタシースターシリーズである。
これがこの第4作、「千年紀の終りに」が出るまでがまたヒデェのなんのって。
ちと解説してみる。

・ファンタシースター (1987年):

セガ内製初のRPG。Mark III/マスターシステム用。しかし「RPGとは何なのか良く分からんで作った」らしい。他社の動向を全く研究しないセガらしい話である。バカ丸出し。
テキスト全部がカタカナ、彫像として動かない街の人、敵はグループで登場しても1種類だけ、など、ブームになったドラクエを一回でもプレイしさえすればこんな数々の情けない間違いは犯さなかっただろう。
しかも音楽がサイテーで、こんな調子っパズレなBGMとかどんな酷い素人が作ったんだ、と驚きである。こんなん載せちゃダメだろう。これですぎやまこういちを擁するドラクエに対抗出来るつもりだったんか。アタマおかしいだろ。
結果、セガ社内で冷遇されてた家庭用ゲーム機チームが「そこそこで」作った場当たり的なゲーム、ってのがこのRPGの正体である。往年のセガマニアだとこれしか遊べなかったんで文句が言えなかっただけ、だ。
「女主人公のRPG」「SFがテーマのRPG」なんつー評価はどーでもいい。それらは基本システムがキチンと作れてこそ、初めて評価出来るモノだろう。どーでもいいトコを評価して大事なトコを押さえてないセガを甘やかすから、セガはますますダメになったのだ。

・ファンタシースターII 還らざる時の終わりに (1989年):

メガドライブ初のRPG。「欠点だらけの」前作に対して猛省して作り始めたらしく、比較的フツーのRPGを目指して改良されてきてたらしい。グラフィックも綺麗になってフツーなら名作になってただろう。「フツーなら」な。
セガの計算違いは「RPGの開発と言うのは遅れるモノ」と言う事を知らなかった辺りである。そして、とにかくカートリッジに載せられるメモリが足りなかった模様。
セガ上層部は「とにかく期日通りに出してくれ」と要求し、開発側のメモリ増設要求を受け入れる事にした。ところが、そのためテストプレイが不十分で、何とも難易度がやたら高い、「不完全な商品」として世に出てしまったのだ。
「やたら見づらい迷路」「やたら高いエンカウント」「やたら強い敵」とか、不十分なテストプレイの賜物である。キチンとテストプレイしてたらこの辺は「不具合」として直ってただろうし、全体的なバランスも見直されてたのではないか。
むしろ、スケジュール遵守重視で作った割には、バグらしいバグが殆どない事の方が奇跡である(だからプログラマが凄腕だったのは事実なんだろう)。
つまり、セガ上層部は、期日通りに発売する、と言う「目先の利益」を優先して、名作化する筈のゲームをクソゲー化してしまったのだ。日本テレネットのような所業である。
恐らく、古参セガマニアはセガ陣営のRPGでは本作を一番、と挙げるだろう。だが騙されるな
いや、連中には悪気がない。しかし、メガドラ初期にファンタシースターIIと言う他のプラットフォームで言うなら明らかにクソゲーしか遊べるRPGが無かったので、苦しんで解いた本作の思い出が美化されているだけである。いわばマゾな思い出の代表格がこのファンタシースターII、なだけなのだ。
セガ自体やメガドライブ自体にそんなに思い入れがなければこのゲームは単なる日本テレネット的なクソゲーである。任天堂ならゲームの完成度が低ければ万難を排してでも完成度を高める方を優先するだろう。セガは違う、だからダメだったんだ、と言う証明のようなクソゲーだ。
なお、これも音楽がイマイチである。っつーかスネアがうるさい。この辺もフツー、テストプレイをキチンとすれば気づいて直せる部分である。

・時の継承者 ファンタシースターIII (1990年)

あれ・・・うーん・・・ごめん。
いやさ、実はこのゲーム悪くねぇんだよ。仮にメガドラRPG四天王、って言うのなら最弱の四天王にしてもいいくらいではあるんだ。
「ククク……。奴は四天王の中でも最弱」で言うトコのだ。
でもなんだ・・・うん、だからか。とにかく印象が薄いんだよな。印象が薄いRPG。難易度設定も悪くない、特別おかしなゲームでもない、のに印象が薄い。・・・ある意味RPGとしては致命的だよな。グラフィックが地味でどっちかっつーと汚いからか。いや、それもカンケーねぇかも。
ファンタシースターIIでやっとマトモなRPG作りのノウハウが分かってきた開発チーム。ところが、何故か、IIの完成後にチームは解散させられる。よってファンタシースターIIIは今までファンタシースターに関わってきたことが一切ない新規チームをわざわざ作って開発させたのだ。何故?
これがまたセガのワケの分からんトコである。今までの開発チーム程ファンタシースターを知ってるチームはないのだ。続けてやらせればエエやん。
結果、「なんか思てたんと違う」ファンタシースターIIIは、さすがのセガマニアも微妙に口を閉ざすゲームになってしまった。・・・いや、プレイしやすいし悪いゲームじゃないんだけど・・・とにかく印象が薄いのだ・・・クソゲーである筈のファンタシースターIIの方がいくらでも書ける事が出てくるのに・・・IIIはあんま無いのだ・・・・・・不思議である・・・・・・。

とまぁ、セガマニアじゃない人間が振り返って見てみれば、そもそもファンタシースターってシリーズって大したシリーズじゃねぇんだよ。セガが初めて立ち上げたRPGのシリーズだ、って以外何もない。どっちかっつーとセガRPGの黒歴史そのものって言っていいくらいだ。
そしてその第4作、最終作として作られたのがここで挙げる3年ぶりの作品、「千年紀の終りに」(1993年)である。制作チームはファンタシースターIIまでのチームが再集結している。言わば、これがファンタシースターIIの正統の続編であり、やっとRPG製作に慣れた件のチームがその本領を発揮した奇跡のゲームである。
まぁ、難易度も丁度良く、画面も見やすいし、エンカウント率も妥当。言い換えると、ファンタシースターIIも、テストプレイさえキチンとして出してたらこの「千年紀の終りに」と同程度の難易度のゲームだったんじゃなかろうか。返す返すも残念である。如何に当時のセガがバカだったのかお分かり頂けるのではないか。
バカついでに一つ。何故にこれが最終作だったのか。もう3年、って時間を開けただけで想像がつくたぁ思うんだけど、結果、セガとしてはファンタシースターと言うシリーズには何も期待してなかった、って事である。要するにシリーズ累計の売上自体も大した事なかったんだろう。
セガ陣営はRPGの足りなさにアタマを悩ませていたわけだが、セガとしては、1991年にシャイニング&ザ・ダクネスと言う新しいRPGを立ち上げた事もあり、ファンタシースターの役割は終わった、って印象だったのではないか。要するにそれまでファンタシースターをプレイしてたユーザーとの温度差が物凄い事になってた、って事が想像出来るわけ。
ところが、シャイニングシリーズは第2作目にしてシミュレーションRPGと言う、任天堂のファイアーエムブレムのパクリ路線に方針転換する(笑)。そしてこれがメガドラではバカ売れするわけだな。そしてまたしてもセガのRPG不足になるわけだ(断っておくが、シャイニングフォース自体は傑作ゲームだとは思う)。
そこでかつての「もう終了した筈の」ファンタシースターを「一時的な穴埋めとして」復活させよう、って事だったんじゃあるまいか・・・。そうじゃないと辻褄が合わないんだよ。
それと、セガはいつもIPに関しては割にどーでも良いって態度で・・・例えばこの後のサターンでは、アメリカ支社に突っつかれてもソニックを出さなかったわけだが(そういう意味で言うと、実はアメリカ支社の方が市場の動向を良く分かっていた)、そういうカンジで、ファンタシースターに関しても「キャラ性」とか、それに惹きつけられてたファンとか、全部ぶった切って良いつもりだったんだろうな。いや、だからセガってそういう会社なんだって。
と言うわけで、ファンタシースター最後のゲームにする必要ないのに(このくらいのクオリティであれば、これを初代としてむしろ連作しても良いくらいだ)、徒花として傑作RPG「千年紀の終りに」はリリースされるのである。
いや、ホントにこれ「だけ」は傑作なんだっての。不思議な事に。
パッケージは何か描きかけの設定集、ってなカンジでまた杜撰なカンジなんだけどな(笑)。


色々ポーズとか、デッサンが変だよなぁ・・・これじゃ単なるイメージボードだわ(苦笑)。
「これでイイ」とか一体誰が許可したんだ。その辺が何ともセガなんだが(笑)。
ま、いいや。中身はどっちにせよ「素晴らしい」のだ。音楽だけIIまでの人間と変えたトコがまた英断である。あーゆー音楽センス的聴覚がおかしい人は使ってはいけないのだ。



ストーリーはファンタシースターI&IIの舞台と被った場所で進行する。
だったらIやIIからやった方が・・・?って思うかもしれないけど、関係ない。
原則舞台とラスボスが一緒なくらいで、ストーリーはそこまで密接に関係ないのだ。
舞台は宇宙にあるアルゴル太陽系、と呼ばれる恒星系のモタビア、と言う惑星。
そこのデコボココンビを起点としてストーリーは始まる。



彼らはハンターと呼ばれる職業に就いている。ハンターとは、いわゆるファンタジーで言う冒険者だよな。言わば何でも屋で依頼されれば問題解決屋になる。


彼らのコンビとしての初仕事はモタビアにあるモタビアアカデミーからの依頼である。早速モタビアアカデミーへ向かうコンビ。


地下室にモンスター?
不審に思いながら彼らは依頼主の学長と会う。


みんな言うんだけど、ホンマ、このイベントの表現形式は素晴らしい。
基本的にパソコンのRPGの「一枚絵によるイベント」を更に発展させた形式なのだが。この表現形式はファミコン/スーファミ等のライバル機に見られない形式だし、非常に見やすいし分かりやすい。この辺はセガの・・・と言うよかファンタシースター開発チームの面目躍如である。
ぶっちゃけ、プレステとかのボイスやアニメよりいいと思ってる。だって読み飛ばしも速いんですもの。
まぁ、いずれにせよ、動揺が怪しい学長を放っておき、調査をはじめるデコボココンビ。


地下に突入する前にハーンと言う学者に捕まる。
ハーンもこのモンスター事件に色々不審感を持ってる模様。
そこでデコボココンビと臨時にパーティを組みたい、と要望。


守銭奴ライラはしっかりと100メセタをガメて、ハーンの同行を許す。


と言うわけでモタビアアカデミーの地下を探索する三羽烏なんだが、当然戦闘が起こる。
ここで、「千年紀の終りに」の戦闘の特徴。マクロ、と言う機能があるのだ。


マクロはそれこそ、Microsoft WordやExcelでお馴染みだろう。コマンドを自動化したり登録して簡易化する機能で、予め各キャラの戦闘コマンドを登録しておいて実行可能なのだ。
これは面白い。ドラクエのAI等とはまた別方向の戦闘の簡易化である。


さて、モタビアアカデミー、地下の最深部で謎の部屋を見つけ、ボス戦である。
何とかボスを倒し喜ぶルディ。


しかし、姉御役のライラはダメ出しである。
そしてハーンに詰め寄るライラ。


ハーンは何も知らないらしい。
と言うわけで怪しかった学長に詰め寄る事に。


学長を問い詰めると。


謎の遺跡を発見したのはいいものの、調査隊が失踪。そして「ジオ」と名乗る男がアカデミーを訪ねてくる。


これ以上調査を継続すると、調査隊員のように石化する、と脅されてしまう。
どうやら当分の間、この「ジオ」と言う男が敵役のようだ。
いずれにせよ、調査隊を救出したい、と俄然張り切りだすハーン。


そして荒稼ぎに余念が無いライラ。

ってなカンジで冒険が始まるのである。

いずれにせよ、メガドライブ(カートリッジ)のRPGでは1〜2位を争う面白さである(オススメ作品は3作品しかねぇけどな!)。前作まで、がヘタレゲーだったりクソゲーだったりしても、このゲーム「だけ」は違う。傑作ゲームなのだ。

なかなか入手が難しいのが玉に瑕。
現在だとSteamで英語版が販売されているので、それが一番入手しやすくて遊びやすいかなぁ・・・っつーか、セガもどうして日本語版をSteamに置いて日本のファンを楽しませようとしないのか、非常に不思議である。
結局、こういう「ユーザー不本位な態度」ってのが、セガは昔っから変わらないのである。
そういう体質の企業なんだよな、本質的に。






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