今から60年前の昭和40年、私は小学5年生でした。
当時の私、哲学的?でした。
コチコチコチコチと夜になると大きな音で時間経過を告げ続ける無神経な目覚まし時計に苛立ち、そして枕を濡らし続けていました。そして、漸く眠りについても、自分の真上で水素爆弾がさく裂する夢で「わぁっ」と声を上げ深夜に目覚めていました。
生きる意味って本当にあるのかと疑問に思ってもいたので、児童向けの幸福論や人生論を読んだりもしましたが、どれを読んでも物足りなかった。何故ならどの本も「死ぬべきではない」という結論が決っていて、その結論に向かって論理が構成されているだけだったから。
当時の私が求めていたのは、生きるべきか死ぬべきか、ゼロベースからの論理構築でした。幸福論と言うのは、生きること自体は当然の方向性で、幸福に生きるためのノウハウ書なのだと知りました。でも、哲学というからにはゼロベースで論理を積み重ねているのだろうと思ったのですが、そんな潔さをもった本には巡り合えませんでした。(難しそうな本は苦手でしたので、大して読んじゃおりませんが)
そして大人になってから中島義道さんの「人生に生きる価値はない」を読んだ時、私は大拍手を送りました。今も、中島義道さんのすっきりした論理は大好きです。
所で、今日の話題は太陽の寿命と私の寿命でしたね。何故こんな話題を出したのか?
当時私天文少年でもありまして、宇宙がどのようにしてできたのか、そして、我が太陽系が今後どのようになっていくのか、図鑑などを食い入るように眺めておりました。すると、40億年後(現在では50億年後とされている様です)、太陽は膨れ上がって赤色巨星と化し、水星、金星、そして地球おも飲み込んでしまうと言うのです。

あかんがな、地球に居たらお父ちゃんもお母ちゃんも兄弟のだれも、みんな死んでしまうがな!!と、私は再度眠れない夜を過ごすことになったのでした。
いまでも、さそり座のアンタレス(代表的な赤色巨星です)を見るとその当時の「嘆き」に胸がチクリとする私です。

銀の龍の背に乗って