NHKで放送してた「デカセギ物語〜日系ブラジル人たちの30年〜」をたまたま視聴しました。
僕は出稼ぎでは無いのですが、20年前に沖縄から富山に働きに出てきて。あの当時、沖縄で居酒屋のバイトは夜の22時で時給650円。それが富山県の工場は時給1,200円で、しかも残業時間中はしたら時給割増。沖縄の倍稼げました。
ただ、肉体的に物凄くキツい仕事で、冷水機の横には食塩が置いてあるし、ビタミン錠剤も配ってて。指の関節が痛過ぎて寝る前はバンテリンを手に塗って手袋して寝るような、シャレならんくらいハードな職場でした。日本人は1日で辞めて行くような職場で、日系ブラジル人のアミーゴ達に囲まれて働いてました。
彼らは国に家族を残して働いてました。
「俺は家族18人を養ってるぜ!」
「ノニジュースの工場やってるんだ!。俺が社長で家族を働かせてるぜ。」
とにかくタフで陽気で働き者のアミーゴ達に囲まれて半年働いてたら、片言の日本語がうつってしまって、日本語が下手になってました(苦笑)。
「同じ日本人でも、何故OKINAWA(俺のあだ名)は仕事辞めないんだ!?。」と質問されるのですが、その時には時給が倍違うから、キツくても働きたいんだ!。ってことを伝えると
俺らと一緒だ!。OKINAWAはボボでクレイジーなアミーゴね!。
と言って仲良く!?させてもらいました。彼らのBBQの美味さは忘れられないですね。
その後大怪我で働けなくなり退職。色々あって石川県に来たのですが、、今頃アミーゴ達はどうしてるかなぁ。。。
リーマンショックの時は、多くの沖縄県出身者も解雇になり戻って行きました。あれは悲しかった。。。
昨日の研修でも、石川県内にお住まいの外国人労働者の方が、行政の生活費の貸付制度を利用しているケースが多いと聞きました。
まずは是非お近くの行政に相談してみてください。助けてくれる日本人も、きっといっぱいいますから。
https://www.pref.ishikawa.lg.jp/kousei/seikatsufukushi/seikatsufukushi.html