【日本人は何故、大東亜戦争を戦ったのか】
20世紀初頭、世界は白人たちによる 『 白人至上主義 』 『 有色人種支配 』 が蔓延(まんえん)していた。
白人による有色人種への扱いは、強奪のための植民地支配であり、有色人種は人ではなく家畜であった。
16世紀初頭から始まった、欧州列強によるアメリカ・アジア・オーストラリア・アフリカ侵略という時代が続き、有色人種(アジア・アメリカ・オーストラリア・アフリカ・中近東諸国)は白人により土地を巻き上げられ、農作物は収奪され、奴隷として支配され、資源を強奪されつづけた。
有色人種が持つすべては強奪の対象であり、有色人種の女たちは老婆から少女に至るまで犯され、嬲(なぶ)り殺され、気骨のある男たちは殴られ拷問を受け、虐殺(ぎゃくさつ)されていった。
私たちが普段使っている 「 原住民 」 という言葉は、その土地に暮らしてきた『人間』をイメージさせない、その地に生息する獣のごとき表現であり、白人による侵略を正当化させるために編み出された幻語なのである。
私たちが何気なく使っている「原住民」という言葉は、有色人種に対してのみ使われ、白人種に対して使われたことは無い。
有色人種国家で完全なる独立を保てていたのは、世界で唯一、日本のみ。
かろうじて独立国の体面を保てていたのは、国土を一部割譲させられ、英仏侵略勢力の緩衝(かんしょう)地帯としてギリギリのところで生き残っているタイ王国、そして、大半の領土を割譲(かつじょう)させられた瀕死(ひんし)のオスマン帝国と、欧米列強の分割支配に悦びを感じていた支那(※SINA:中国共産党政権が認めている中国の国際的な正式呼称)の3ヵ国のみ。
有色人種の国々は、すべて白人国家により侵略され、植民地支配され、人々は奴隷となり、何もかもが強奪され、家畜同然の扱いに、あえぎ苦しんでいた。
かつて、黄色人種が自然と共生し平和に暮らしていた南北アメリカ大陸・オーストラリア大陸の国々は、白人国家に侵略され、白人国家となってしまった。
本来の国民であるインディアン(北アメリカ)・アボリジニ人(オーストラリア)は、恐怖を植え付け支配するための拷問にあい、白人が開拓する土地の障害物として婦女子や赤ん坊に至るまで大量に殺害処分された。
生きているものは奴隷となり、女性たちは白人たちの野獣のごとき性欲の犠牲となった。またハンティングの獲物として射殺され、存在自体を否定され、絶滅した種族も多い。
中・南米諸国の本来の国民であったインディオも、すべて、白人国家に侵略され、逆らう男たちは拷問にあい虐殺され、財宝は収奪され尽くし、資源はすべて強奪され、白人のための重労働に酷使された。
女は幼子に至るまで欲望のはけ口として強姦され混血児を生み、同化政策の元、純血種(純粋なインディオ)は絶滅に近い状態にまで激減してしまった。
東南アジアの国々も、すべて白人によって侵略・支配され、人々は奴隷として白人のために生まれ、教育を受けることもなく子供のころから働かされ搾取され続け、資源はすべて強奪され、白人の嗜好品を生産するために食糧の生産は許されず狡猾(こうかつ)なる白人から労働対価として与えられ、殺生与奪権を白人に握られ逆らうことは拷問死を意味した。
アジアの人々はすべて、白人国家の栄華を支えるべく生きるしかなく、人々はいつ果てるともしれない白人支配にあきらめ虚しく子孫を残した。
お気に入りの有色人種の女たちを犯し続けた、獰猛(どうもう)な白人たちは言う。
「獣(けもの:有色人種は人ではなかった)に人間の種を与えたのだ。 感謝しろ!」
アフリカ大陸に住む黒人たちは、アメリカ大陸で虐殺され激減した黄色人種の奴隷(インディオ・インディアン)の代わりとして狩られ、アメリカ大陸に強制連行され奴隷となった。
狩られた黒人の数、およそ1億人。
過去記事参照↓
https://www.facebook.com/zipangu.to/posts/868919796452516:0
有色人種たちは、この白人支配が未来永劫続くものと、あきらめていた・・・
そんな時、世界最強と謳(うた)われた軍事大国のロシアを破り、「白人優位、白人不敗」の神話を崩壊(ほうかい)せしめ、有色人種国家で唯一「列強国」となった東アジアの小さな国があった。
その国の名は、日本
有色人種国家で唯一「五大国」に列せられた日本は、「人種差別撤廃(てっぱい)、人種平等」を世界に訴え続けた。
大正8年 第1次世界大戦の戦勝国の一員となった日本は、国際連盟に、『人種差別撤廃条項』を盛り込むよう提出。
欧米列強によって分割・植民地支配されていたアジア・アフリカ地域の民衆も、その提案を支持した。
会議では11対5と賛成多数となったが、あっけなく否決された。
議長国のアメリカ・ウイルソン大統領が、突然、全会一致を条件に出し、これを採用しなかったのである。
自国で行っている「強烈な人種差別」を継続させるために、画策したのである。
昭和8年 常任理事国だった日本は、国際連盟を脱退。
支那の侵略を目論むアメリカの理不尽な要求を、拒否したのである。
有色人種の白人への隷属(れいそく)からの解放を迫る日本に対し、アメリカが画策した理不尽極まりない譲歩(じょうほ)を、白人諸国が日本に対して、こぞって迫ったのである。
国内世論は拍手喝采で迎えた。
日本人は、愛する祖国を白人支配の魔の手から守るため、欧米の苛烈な植民地支配からの、アジア開放を決意した。
これは、有色人種の白色人種に対する壮絶な巻き返しであり、当時、その力と気迫を持っていたのは、日本人だけだった。
その結果、欧米と衝突。
アジア諸国に対する日本の勢力拡大を警戒したイギリス・オランダ・アメリカなどのアジア殖民地支配国は、(有色人種で唯一、白人側に寝返った)支那と結託、日本への輸出を制限したABCD包囲網により、日本への資源の輸出を停止。
最終的にアメリカは、日本の生命線である石油の輸出を、完全に停止した。
大半の資源を外国から輸入していた日本にとって、この経済封鎖は・・・・・死を意味した。
それでも・・・・日本は平和を希求し、戦争回避の道を求め続けた。
しかし、アメリカから提示されたのはタイムリミットなき最後通牒(つうちょう)、アメリカへの隷属(れいぞく)を迫る、『ハル・ノート』だった。
その内容は、日本の完全なる敗北を意味するだけでなく、受諾(じゅだく)に対するアメリカよりの条件提示は一切なく、到底受容(じゅよう)できるものではなかった。
ハル・ノートを読んだ、イギリスのチャーチル首相は、側近にこう語った。
「我々が考えて要求したいかなるものより、苛刻(かこく)なものだ」
「奴隷か、戦争か!?」
アジア・アフリカ地域を植民地とし、搾取し続けている侵略者は欧米諸国であり、当時、日本もその毒牙にかかった。
白人による世界支配が続く限り、この戦いは避けることのできない運命・・・
平和を取り返すため、そして、すべての有色人種の『人間としての尊厳(そんげん)』を取り返すため、有色人種として唯一、欧米列強に立ち向かう決意に至る。
「対米開戦やむなし!」
アメリカの国力は30倍以上。
有色人種を裏切り白人種側についた(米英が支援する)支那だけではなく、列強5ヶ国『英仏蘭ソ豪』も相手になるだろう。
国を挙げての総力戦に、どうみても勝ち目はなかった。
しかし、抵抗なき敗北ではアジア・アフリカ諸国のように、人間としての誇りを喪失させられ、植民地支配され、奴隷(どれい)となるだけ。
「日本人は、隷属(れいぞく)を選ぶ民族ではなかった」
未来の子供達が虐(しいたげ)げられることなく、日本が独立国家である為に、民族の不屈精神を誇示し、「武士道精神」を世界に知らしめんとす。
戦わざれば亡国、
戦うもまた亡国であれば、
戦わずして亡国は身も心も
民族永遠の亡国である。
戦って死中に活を見出し
護国の精神に徹するならば
たとい戦い勝たずとも、
護国に徹した
日本精神さえ残せば、
我らの子孫は必ずや
再起、三再起するであろう。
永野修身 元帥 (海軍大将)
大東亜戦争とは
欧米列強による世界支配を、日本が阻止した戦いであり、全世界の有色人種の未来を担った戦いだったのである。
こうして日本は3年半にも及ぶ大戦争に、突入していく。
大東亜戦争とは、白人の植民地支配から、『アジア民族の独立・解放』以外に、真の合理性は見いだせない闘いだったのである。
平等、そして平和を希求する、日本古来よりの「八紘一宇」(はっこういちう)の精神、ここに極まれり。
昭和16年12月8日 「大東亜戦争、開戦」
山下大将率いる陸軍がイギリス領マレー半島を、山本司令長官が指揮する海軍はハワイの真珠湾を攻撃。
天皇陛下による『米英両国に対する宣戦の詔書』が国民に対し読み上げられ、大東亜戦争に突入した。
日本の陸・海軍は、開戦直後から連戦連勝、破竹の進撃を続けた。
しかし、昭和17年6月 アメリカ軍を侮(あなど)った日本海軍連合艦隊は、ミッドウェー海戦で大敗。
続く、昭和17年8月 「ガダルカナル島」
米豪を遮断すべく立案されたガダルカナル島での戦いは、悲惨を極め、日本軍は5千の戦死者と、1万5千の餓死者を出し「餓島」と呼ばれた。
平和を愛し戦争に不慣れな日本人の軍隊に対し、有史以来、作ることより強奪を旨とし、計略をもってダマし合い、戦いに明け暮れ、豊富な戦争経験を持つアメリカ軍(白人種)の戦い方は、一枚も二枚も上手であった。
太平洋上における戦局は逆転、島嶼(とうしょ)での撤退・玉砕が始まる。
それでも日本は、国力のすべてを結集して戦った。
戦況は圧倒的に不利
しかし誇り高き日本軍将兵たちは、白人支配による植民地の苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)からの「東亜の解放」そして「己の命に代えてでも、アメリカの侵略から日本を死守する!」本気で誓い合い、輸送船団が次々と沈められ補給が途絶え、武器・弾薬・食糧が底をつき、地獄の苦しみの中にあっても闘い続け、故郷の家族を想いながら死んでいった。
「魂は、靖国神社に帰る」と信じて。
「靖国で会おう」が、合言葉だった。
昭和18年10月 「学徒出陣」
10万人の大学生達がペンを捨て銃剣を取り、戦地に赴いた。
戦後教育を受けた我々の世代とは違い、アメリカ人(白人)が、インディアンやハワイ人、そしてフィリピン人に対して行ってきた「悪鬼(あっき)のごとき蛮行(ばんこう)」を正確に知っていた、当時の若者たちの思いは一つ。
「負ければ亡国、鬼畜のごとき米英の植民地になる。植民地の様相は筆舌(ひつぜつ)に尽くし難い悲劇。そんな悲惨な事態は、俺たちが絶対に食い止める!」
敗戦色濃い前線で、軍事教練わずかの彼らが投入されたのは、あらゆる種類の「特攻」「玉砕」作戦であった。
秋雨の明治神宮外苑の陸上競技場で65,000人の女子学生や後輩が見送った。
玉砕した一兵士の詩がある
【もし玉砕して、そのことによって
祖国の人達が、少しでも
生を楽しむことができればと
せつに祈るのみである
遠い祖国の若き男よ
強く逞しく、朗らかであれ
なつかしい遠い祖国の
若き乙女たちよ
清く美しく、健康であれ】
昭和19年3月 「インパール作戦」
陸軍牟田口中将と大本営のエリート官僚(今に続く官僚の無責任体質)により強行されたインパール作戦は、勝機を逸した遅すぎる無謀極まりない作戦内容であったが、イギリス植民地であった「インド解放」を目指しインド兵と共に戦場に赴き、補給が続かず飢餓地獄となるも、最後までインド兵と一丸となって戦い7万もの将兵が戦地に散った。
昭和19年6月 「マリアナ沖海戦」
航空戦力をかき集めて決戦を挑んだマリアナ沖海戦では、レーダーを活用したアメリカ海軍空母機動部隊に大敗。日本海軍の機動部隊は壊滅(かいめつ)、連合艦隊は戦う力を失った。
アメリカ軍、サイパン島へ侵攻。
絶対国防圏、破られる。
圧倒的物量差、戦力差への「特攻」「玉砕」
昭和19年10月25日 「レイテ作戦を支援」
神風特別攻撃隊「敷島隊」、フィリピン基地より出撃。初出撃で大戦果を挙げる。
特攻隊員は、全国から集められた精鋭(せいえい)であり、卓越した運動神経を持つ高学歴のエリート達だった。
戦争を指導するエリート官僚や一部の将軍はおろかで無責任あっても、特攻隊員たちは、人一倍、故郷を想い、友を思い、家族を恋人を愛する、愛に満ちた、平和を愛する、愛国心(※故郷への愛)に燃えた人々であった。
彼らは、アジアの解放という「大義」のため、故郷(ふるさと)に残してきた愛する人々を守るため、そして日本の将来のために、若い命をささげたのである。
参考動画↓
https://youtu.be/dcbH6TcvUro
特攻は敗戦の日まで続いた。
特攻が敵に与えた恐怖は絶大であった。
「特攻が来た!」と聞くだけで、米兵は艦を捨て海へ逃げる者もいた。
特攻の恐怖から、精神に異常をきたした艦長までいた。
特攻作戦での戦死者は5,845名、みな前途有望な若者達であった。
昭和20年2月 「硫黄島決戦」
硫黄島で、米軍は、この世の地獄を味わった。
米大統領のルーズベルトは米側の損害を聞いて、戦慄のあまり息をのんだという。
アメリカを知り抜いた名将、陸軍 栗林中将に率いられた「死を覚悟した」まさに死に物狂いの日本軍の抵抗は凄まじく、「日本とだけは、二度と戦いたくない!」と願わずにはいられなかったという。
昭和20年3月10日 「東京大空襲」
真冬の乾燥した風の強い日を狙った、アメリカ軍による無差別の民間人大量虐殺であった。
26万軒が焼失し、死者10万人、負傷者4万人、家を失った人は100万人を超えた。
昭和20年4月1日 「米軍沖縄上陸」
日本国内で最大規模の陸戦となった。 沖縄では、県民が一丸となって侵略者と闘って大勢の尊い命を落とした。
米軍による陸海空からの猛砲爆撃は地形が変わるほど激烈を極めた。「鉄の暴風」「鉄の雨」と呼ばれ、その悲惨さは「あらゆる地獄を一ヶ所に集めた」と表現されるほどであった。
それでも徹底した抗戦は、アメリカ軍を恐怖の淵に落とし込んだ。
この戦いには、多くの誇り高き沖縄県民が「大義のため」「日本のため」「愛する家族のため」に命を懸けて戦い、後方支援の協力をした。 「姫ゆり部隊」をはじめ多くの民間人が犠牲となり、15万もの尊い命が失われた。
昭和19年9月18日 「ハイドパーク協定」を密約。
フランクリン・ルーズベルト米大統領とウィンストン・チャーチル英首相は、米ニューヨーク州ハイドパークで会談し、日本への原爆投下と将来の核管理について申し合わせた。
昭和20年7月 ポツダム会談。
トルーマン大統領(アメリカ)は、巨額な開発費を投じた原爆の『人体実験』と『都市破壊実験』を日本人を実験材料にして行うため、ソ連経由で入ってきた日本からの「早期講和」意思を黙殺。 ポツダム宣言から「国体護持」の条文を外させ、原爆投下までの戦争継続を謀(はか)った。
白人にとって黄色人種である日本人は、人間ではなかったのである。
昭和20年8月6日 広島市に「ウラン型原子爆投下」 (通称:リトルボーイ)
昭和20年8月9日 長崎市に「プルトニウム型原子爆投下」 (通称:ファットマン)
人類史上初の、民間人が住む都市をターゲットにした、壮大な2種類の「核による人体実験」であった。
原子爆弾により、35万の国民が殺され、50万人以上の人たちが放射能の後遺障害に苦しみ続けた。
戦後、2つの都市はアメリカ進駐軍により封鎖され、治療ではなく、徹底した人体実験の確認作業が行われた。
戦場ではなかった東京および全国各都市への「大空襲」および民間都市への「原爆投下」は、ナチスの行った『ホロコースト』に比肩する「計画的な民間人の大虐殺行為」であり、重大な『 戦時国際法の違反 』である。
いかなる「正当化」も、許せるものではない。
昭和20年8月15日 ポツダム条約を受諾。
真実は、日本軍は「無条件の降伏(武装解除)」であり、日本国は『 有条件での降伏 』を受諾したのである。
「無条件降伏」という呼び名は、戦後、アメリカ占領軍が日本人を完全なるコントロール下に置き、支配しやすくするために、日本人を騙(だま)したのである。
同年9月2日 日本は、ポツダム宣言に基づく『条件付き降伏文書』に調印した。
日本は焦土と化し、あまりにも多くの愛する人々を失った・・・
しかし、白人たちは、今まで「獣(けもの)程度」と見下してきた日本人に畏敬の念を持ち始め、「家畜以下」としか考えていなかった有色人種に、恐れを抱くようになり始めた。
日本軍政下を経験した東南アジアの人々も、今までのような無知で無力で白人に従順な愚か者では無かった。
日本軍の白人国家に対する死に物狂いの闘いを目の当たりにし、日本人が作った学校に学び、日本軍に愛国心と闘う精神と戦い方を叩き込まれ、日本に援助されたアジアの人々は、日本軍が残した民族自決の精神を受け継ぎ、愛国心に目覚め、誇りを取り戻し、独立を目指した壮絶な戦いを始めたのである。
多くの旧日本兵たちも、脱走兵の汚名を着てまで「アジア解放」を願い、アジアの人たちと一緒に戦い、死んでいった。
アジアは、次々と白人支配から「解放」された。
「歴史的に見るならば、日本ほど、アジアを白人支配から離脱させる事に貢献した国はない」 (ビルマ バー・モウ元首相)
その勢いはアフリカ諸国の国民をも動かした。
アフリカの人びとは言う。
「なぜ日本軍は、アフリカまで進出してくれなかったのか!」と。
昭和20年、国連が発足した当時の加盟国はたったの51ヵ国しかなかった。
現在、191ヵ国にまで膨れ上がっている。
そのほとんどは、アジア、アフリカの国々なのである。
~21世紀の今、植民地支配は過去の話となった~
今の日本の繁栄は、先人達の犠牲の上に成り立っている。
私たちが生きている今は、先人達が命懸けで守ろうとした「未来」なのだ。
戦争とは、国家の目的と目的がぶつかったとき、国際法で認められている、その紛争を解決するための最終手段。
大東亜戦争とは、「優秀な白人種」 が 「劣等民族である有色人種」 を絶対的に支配し、蹂躙し、奪うのが当然としてきた価値観と、人種の平等と相共に繁栄することを求める理想との戦いであったのだ。
忘れてはならないのは、日本だけが、戦艦、空母、駆逐艦、巡洋艦、輸送船、戦車、大砲、戦闘機、爆撃機、他白人と五分に戦える武器を造り軍隊を組織することができた有色人種で唯一の国家であったという事。
もし、日本という国が無かったら・・・
参考資料など
一目でわかる「アジア解放」時代の 日本精神 水間 政憲 著 PHP
大東亜戦争は昭和50年4月30日に終結した 佐 藤 守 著 青林堂
大東亜戦争の正体 ―それはアメリカの侵略戦争だった― 清水馨八郎 著 祥伝社黄金文庫
世界が語る大東亜戦争と東京裁判―アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集 吉本 貞昭 著
中国・韓国が死んでも隠したい 本当は正しかった日本の戦争 黄 文雄 著
大東亜戦争【不屈の武士道精神】
http://www.youtube.com/watch?v=7QQzmAQ7wEc
http://rekisi.amjt.net/?p=169より転載
20世紀初頭、世界は白人たちによる 『 白人至上主義 』 『 有色人種支配 』 が蔓延(まんえん)していた。
白人による有色人種への扱いは、強奪のための植民地支配であり、有色人種は人ではなく家畜であった。
16世紀初頭から始まった、欧州列強によるアメリカ・アジア・オーストラリア・アフリカ侵略という時代が続き、有色人種(アジア・アメリカ・オーストラリア・アフリカ・中近東諸国)は白人により土地を巻き上げられ、農作物は収奪され、奴隷として支配され、資源を強奪されつづけた。
有色人種が持つすべては強奪の対象であり、有色人種の女たちは老婆から少女に至るまで犯され、嬲(なぶ)り殺され、気骨のある男たちは殴られ拷問を受け、虐殺(ぎゃくさつ)されていった。
私たちが普段使っている 「 原住民 」 という言葉は、その土地に暮らしてきた『人間』をイメージさせない、その地に生息する獣のごとき表現であり、白人による侵略を正当化させるために編み出された幻語なのである。
私たちが何気なく使っている「原住民」という言葉は、有色人種に対してのみ使われ、白人種に対して使われたことは無い。
有色人種国家で完全なる独立を保てていたのは、世界で唯一、日本のみ。
かろうじて独立国の体面を保てていたのは、国土を一部割譲させられ、英仏侵略勢力の緩衝(かんしょう)地帯としてギリギリのところで生き残っているタイ王国、そして、大半の領土を割譲(かつじょう)させられた瀕死(ひんし)のオスマン帝国と、欧米列強の分割支配に悦びを感じていた支那(※SINA:中国共産党政権が認めている中国の国際的な正式呼称)の3ヵ国のみ。
有色人種の国々は、すべて白人国家により侵略され、植民地支配され、人々は奴隷となり、何もかもが強奪され、家畜同然の扱いに、あえぎ苦しんでいた。
かつて、黄色人種が自然と共生し平和に暮らしていた南北アメリカ大陸・オーストラリア大陸の国々は、白人国家に侵略され、白人国家となってしまった。
本来の国民であるインディアン(北アメリカ)・アボリジニ人(オーストラリア)は、恐怖を植え付け支配するための拷問にあい、白人が開拓する土地の障害物として婦女子や赤ん坊に至るまで大量に殺害処分された。
生きているものは奴隷となり、女性たちは白人たちの野獣のごとき性欲の犠牲となった。またハンティングの獲物として射殺され、存在自体を否定され、絶滅した種族も多い。
中・南米諸国の本来の国民であったインディオも、すべて、白人国家に侵略され、逆らう男たちは拷問にあい虐殺され、財宝は収奪され尽くし、資源はすべて強奪され、白人のための重労働に酷使された。
女は幼子に至るまで欲望のはけ口として強姦され混血児を生み、同化政策の元、純血種(純粋なインディオ)は絶滅に近い状態にまで激減してしまった。
東南アジアの国々も、すべて白人によって侵略・支配され、人々は奴隷として白人のために生まれ、教育を受けることもなく子供のころから働かされ搾取され続け、資源はすべて強奪され、白人の嗜好品を生産するために食糧の生産は許されず狡猾(こうかつ)なる白人から労働対価として与えられ、殺生与奪権を白人に握られ逆らうことは拷問死を意味した。
アジアの人々はすべて、白人国家の栄華を支えるべく生きるしかなく、人々はいつ果てるともしれない白人支配にあきらめ虚しく子孫を残した。
お気に入りの有色人種の女たちを犯し続けた、獰猛(どうもう)な白人たちは言う。
「獣(けもの:有色人種は人ではなかった)に人間の種を与えたのだ。 感謝しろ!」
アフリカ大陸に住む黒人たちは、アメリカ大陸で虐殺され激減した黄色人種の奴隷(インディオ・インディアン)の代わりとして狩られ、アメリカ大陸に強制連行され奴隷となった。
狩られた黒人の数、およそ1億人。
過去記事参照↓
https://www.facebook.com/zipangu.to/posts/868919796452516:0
有色人種たちは、この白人支配が未来永劫続くものと、あきらめていた・・・
そんな時、世界最強と謳(うた)われた軍事大国のロシアを破り、「白人優位、白人不敗」の神話を崩壊(ほうかい)せしめ、有色人種国家で唯一「列強国」となった東アジアの小さな国があった。
その国の名は、日本
有色人種国家で唯一「五大国」に列せられた日本は、「人種差別撤廃(てっぱい)、人種平等」を世界に訴え続けた。
大正8年 第1次世界大戦の戦勝国の一員となった日本は、国際連盟に、『人種差別撤廃条項』を盛り込むよう提出。
欧米列強によって分割・植民地支配されていたアジア・アフリカ地域の民衆も、その提案を支持した。
会議では11対5と賛成多数となったが、あっけなく否決された。
議長国のアメリカ・ウイルソン大統領が、突然、全会一致を条件に出し、これを採用しなかったのである。
自国で行っている「強烈な人種差別」を継続させるために、画策したのである。
昭和8年 常任理事国だった日本は、国際連盟を脱退。
支那の侵略を目論むアメリカの理不尽な要求を、拒否したのである。
有色人種の白人への隷属(れいそく)からの解放を迫る日本に対し、アメリカが画策した理不尽極まりない譲歩(じょうほ)を、白人諸国が日本に対して、こぞって迫ったのである。
国内世論は拍手喝采で迎えた。
日本人は、愛する祖国を白人支配の魔の手から守るため、欧米の苛烈な植民地支配からの、アジア開放を決意した。
これは、有色人種の白色人種に対する壮絶な巻き返しであり、当時、その力と気迫を持っていたのは、日本人だけだった。
その結果、欧米と衝突。
アジア諸国に対する日本の勢力拡大を警戒したイギリス・オランダ・アメリカなどのアジア殖民地支配国は、(有色人種で唯一、白人側に寝返った)支那と結託、日本への輸出を制限したABCD包囲網により、日本への資源の輸出を停止。
最終的にアメリカは、日本の生命線である石油の輸出を、完全に停止した。
大半の資源を外国から輸入していた日本にとって、この経済封鎖は・・・・・死を意味した。
それでも・・・・日本は平和を希求し、戦争回避の道を求め続けた。
しかし、アメリカから提示されたのはタイムリミットなき最後通牒(つうちょう)、アメリカへの隷属(れいぞく)を迫る、『ハル・ノート』だった。
その内容は、日本の完全なる敗北を意味するだけでなく、受諾(じゅだく)に対するアメリカよりの条件提示は一切なく、到底受容(じゅよう)できるものではなかった。
ハル・ノートを読んだ、イギリスのチャーチル首相は、側近にこう語った。
「我々が考えて要求したいかなるものより、苛刻(かこく)なものだ」
「奴隷か、戦争か!?」
アジア・アフリカ地域を植民地とし、搾取し続けている侵略者は欧米諸国であり、当時、日本もその毒牙にかかった。
白人による世界支配が続く限り、この戦いは避けることのできない運命・・・
平和を取り返すため、そして、すべての有色人種の『人間としての尊厳(そんげん)』を取り返すため、有色人種として唯一、欧米列強に立ち向かう決意に至る。
「対米開戦やむなし!」
アメリカの国力は30倍以上。
有色人種を裏切り白人種側についた(米英が支援する)支那だけではなく、列強5ヶ国『英仏蘭ソ豪』も相手になるだろう。
国を挙げての総力戦に、どうみても勝ち目はなかった。
しかし、抵抗なき敗北ではアジア・アフリカ諸国のように、人間としての誇りを喪失させられ、植民地支配され、奴隷(どれい)となるだけ。
「日本人は、隷属(れいぞく)を選ぶ民族ではなかった」
未来の子供達が虐(しいたげ)げられることなく、日本が独立国家である為に、民族の不屈精神を誇示し、「武士道精神」を世界に知らしめんとす。
戦わざれば亡国、
戦うもまた亡国であれば、
戦わずして亡国は身も心も
民族永遠の亡国である。
戦って死中に活を見出し
護国の精神に徹するならば
たとい戦い勝たずとも、
護国に徹した
日本精神さえ残せば、
我らの子孫は必ずや
再起、三再起するであろう。
永野修身 元帥 (海軍大将)
大東亜戦争とは
欧米列強による世界支配を、日本が阻止した戦いであり、全世界の有色人種の未来を担った戦いだったのである。
こうして日本は3年半にも及ぶ大戦争に、突入していく。
大東亜戦争とは、白人の植民地支配から、『アジア民族の独立・解放』以外に、真の合理性は見いだせない闘いだったのである。
平等、そして平和を希求する、日本古来よりの「八紘一宇」(はっこういちう)の精神、ここに極まれり。
昭和16年12月8日 「大東亜戦争、開戦」
山下大将率いる陸軍がイギリス領マレー半島を、山本司令長官が指揮する海軍はハワイの真珠湾を攻撃。
天皇陛下による『米英両国に対する宣戦の詔書』が国民に対し読み上げられ、大東亜戦争に突入した。
日本の陸・海軍は、開戦直後から連戦連勝、破竹の進撃を続けた。
しかし、昭和17年6月 アメリカ軍を侮(あなど)った日本海軍連合艦隊は、ミッドウェー海戦で大敗。
続く、昭和17年8月 「ガダルカナル島」
米豪を遮断すべく立案されたガダルカナル島での戦いは、悲惨を極め、日本軍は5千の戦死者と、1万5千の餓死者を出し「餓島」と呼ばれた。
平和を愛し戦争に不慣れな日本人の軍隊に対し、有史以来、作ることより強奪を旨とし、計略をもってダマし合い、戦いに明け暮れ、豊富な戦争経験を持つアメリカ軍(白人種)の戦い方は、一枚も二枚も上手であった。
太平洋上における戦局は逆転、島嶼(とうしょ)での撤退・玉砕が始まる。
それでも日本は、国力のすべてを結集して戦った。
戦況は圧倒的に不利
しかし誇り高き日本軍将兵たちは、白人支配による植民地の苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)からの「東亜の解放」そして「己の命に代えてでも、アメリカの侵略から日本を死守する!」本気で誓い合い、輸送船団が次々と沈められ補給が途絶え、武器・弾薬・食糧が底をつき、地獄の苦しみの中にあっても闘い続け、故郷の家族を想いながら死んでいった。
「魂は、靖国神社に帰る」と信じて。
「靖国で会おう」が、合言葉だった。
昭和18年10月 「学徒出陣」
10万人の大学生達がペンを捨て銃剣を取り、戦地に赴いた。
戦後教育を受けた我々の世代とは違い、アメリカ人(白人)が、インディアンやハワイ人、そしてフィリピン人に対して行ってきた「悪鬼(あっき)のごとき蛮行(ばんこう)」を正確に知っていた、当時の若者たちの思いは一つ。
「負ければ亡国、鬼畜のごとき米英の植民地になる。植民地の様相は筆舌(ひつぜつ)に尽くし難い悲劇。そんな悲惨な事態は、俺たちが絶対に食い止める!」
敗戦色濃い前線で、軍事教練わずかの彼らが投入されたのは、あらゆる種類の「特攻」「玉砕」作戦であった。
秋雨の明治神宮外苑の陸上競技場で65,000人の女子学生や後輩が見送った。
玉砕した一兵士の詩がある
【もし玉砕して、そのことによって
祖国の人達が、少しでも
生を楽しむことができればと
せつに祈るのみである
遠い祖国の若き男よ
強く逞しく、朗らかであれ
なつかしい遠い祖国の
若き乙女たちよ
清く美しく、健康であれ】
昭和19年3月 「インパール作戦」
陸軍牟田口中将と大本営のエリート官僚(今に続く官僚の無責任体質)により強行されたインパール作戦は、勝機を逸した遅すぎる無謀極まりない作戦内容であったが、イギリス植民地であった「インド解放」を目指しインド兵と共に戦場に赴き、補給が続かず飢餓地獄となるも、最後までインド兵と一丸となって戦い7万もの将兵が戦地に散った。
昭和19年6月 「マリアナ沖海戦」
航空戦力をかき集めて決戦を挑んだマリアナ沖海戦では、レーダーを活用したアメリカ海軍空母機動部隊に大敗。日本海軍の機動部隊は壊滅(かいめつ)、連合艦隊は戦う力を失った。
アメリカ軍、サイパン島へ侵攻。
絶対国防圏、破られる。
圧倒的物量差、戦力差への「特攻」「玉砕」
昭和19年10月25日 「レイテ作戦を支援」
神風特別攻撃隊「敷島隊」、フィリピン基地より出撃。初出撃で大戦果を挙げる。
特攻隊員は、全国から集められた精鋭(せいえい)であり、卓越した運動神経を持つ高学歴のエリート達だった。
戦争を指導するエリート官僚や一部の将軍はおろかで無責任あっても、特攻隊員たちは、人一倍、故郷を想い、友を思い、家族を恋人を愛する、愛に満ちた、平和を愛する、愛国心(※故郷への愛)に燃えた人々であった。
彼らは、アジアの解放という「大義」のため、故郷(ふるさと)に残してきた愛する人々を守るため、そして日本の将来のために、若い命をささげたのである。
参考動画↓
https://youtu.be/dcbH6TcvUro
特攻は敗戦の日まで続いた。
特攻が敵に与えた恐怖は絶大であった。
「特攻が来た!」と聞くだけで、米兵は艦を捨て海へ逃げる者もいた。
特攻の恐怖から、精神に異常をきたした艦長までいた。
特攻作戦での戦死者は5,845名、みな前途有望な若者達であった。
昭和20年2月 「硫黄島決戦」
硫黄島で、米軍は、この世の地獄を味わった。
米大統領のルーズベルトは米側の損害を聞いて、戦慄のあまり息をのんだという。
アメリカを知り抜いた名将、陸軍 栗林中将に率いられた「死を覚悟した」まさに死に物狂いの日本軍の抵抗は凄まじく、「日本とだけは、二度と戦いたくない!」と願わずにはいられなかったという。
昭和20年3月10日 「東京大空襲」
真冬の乾燥した風の強い日を狙った、アメリカ軍による無差別の民間人大量虐殺であった。
26万軒が焼失し、死者10万人、負傷者4万人、家を失った人は100万人を超えた。
昭和20年4月1日 「米軍沖縄上陸」
日本国内で最大規模の陸戦となった。 沖縄では、県民が一丸となって侵略者と闘って大勢の尊い命を落とした。
米軍による陸海空からの猛砲爆撃は地形が変わるほど激烈を極めた。「鉄の暴風」「鉄の雨」と呼ばれ、その悲惨さは「あらゆる地獄を一ヶ所に集めた」と表現されるほどであった。
それでも徹底した抗戦は、アメリカ軍を恐怖の淵に落とし込んだ。
この戦いには、多くの誇り高き沖縄県民が「大義のため」「日本のため」「愛する家族のため」に命を懸けて戦い、後方支援の協力をした。 「姫ゆり部隊」をはじめ多くの民間人が犠牲となり、15万もの尊い命が失われた。
昭和19年9月18日 「ハイドパーク協定」を密約。
フランクリン・ルーズベルト米大統領とウィンストン・チャーチル英首相は、米ニューヨーク州ハイドパークで会談し、日本への原爆投下と将来の核管理について申し合わせた。
昭和20年7月 ポツダム会談。
トルーマン大統領(アメリカ)は、巨額な開発費を投じた原爆の『人体実験』と『都市破壊実験』を日本人を実験材料にして行うため、ソ連経由で入ってきた日本からの「早期講和」意思を黙殺。 ポツダム宣言から「国体護持」の条文を外させ、原爆投下までの戦争継続を謀(はか)った。
白人にとって黄色人種である日本人は、人間ではなかったのである。
昭和20年8月6日 広島市に「ウラン型原子爆投下」 (通称:リトルボーイ)
昭和20年8月9日 長崎市に「プルトニウム型原子爆投下」 (通称:ファットマン)
人類史上初の、民間人が住む都市をターゲットにした、壮大な2種類の「核による人体実験」であった。
原子爆弾により、35万の国民が殺され、50万人以上の人たちが放射能の後遺障害に苦しみ続けた。
戦後、2つの都市はアメリカ進駐軍により封鎖され、治療ではなく、徹底した人体実験の確認作業が行われた。
戦場ではなかった東京および全国各都市への「大空襲」および民間都市への「原爆投下」は、ナチスの行った『ホロコースト』に比肩する「計画的な民間人の大虐殺行為」であり、重大な『 戦時国際法の違反 』である。
いかなる「正当化」も、許せるものではない。
昭和20年8月15日 ポツダム条約を受諾。
真実は、日本軍は「無条件の降伏(武装解除)」であり、日本国は『 有条件での降伏 』を受諾したのである。
「無条件降伏」という呼び名は、戦後、アメリカ占領軍が日本人を完全なるコントロール下に置き、支配しやすくするために、日本人を騙(だま)したのである。
同年9月2日 日本は、ポツダム宣言に基づく『条件付き降伏文書』に調印した。
日本は焦土と化し、あまりにも多くの愛する人々を失った・・・
しかし、白人たちは、今まで「獣(けもの)程度」と見下してきた日本人に畏敬の念を持ち始め、「家畜以下」としか考えていなかった有色人種に、恐れを抱くようになり始めた。
日本軍政下を経験した東南アジアの人々も、今までのような無知で無力で白人に従順な愚か者では無かった。
日本軍の白人国家に対する死に物狂いの闘いを目の当たりにし、日本人が作った学校に学び、日本軍に愛国心と闘う精神と戦い方を叩き込まれ、日本に援助されたアジアの人々は、日本軍が残した民族自決の精神を受け継ぎ、愛国心に目覚め、誇りを取り戻し、独立を目指した壮絶な戦いを始めたのである。
多くの旧日本兵たちも、脱走兵の汚名を着てまで「アジア解放」を願い、アジアの人たちと一緒に戦い、死んでいった。
アジアは、次々と白人支配から「解放」された。
「歴史的に見るならば、日本ほど、アジアを白人支配から離脱させる事に貢献した国はない」 (ビルマ バー・モウ元首相)
その勢いはアフリカ諸国の国民をも動かした。
アフリカの人びとは言う。
「なぜ日本軍は、アフリカまで進出してくれなかったのか!」と。
昭和20年、国連が発足した当時の加盟国はたったの51ヵ国しかなかった。
現在、191ヵ国にまで膨れ上がっている。
そのほとんどは、アジア、アフリカの国々なのである。
~21世紀の今、植民地支配は過去の話となった~
今の日本の繁栄は、先人達の犠牲の上に成り立っている。
私たちが生きている今は、先人達が命懸けで守ろうとした「未来」なのだ。
戦争とは、国家の目的と目的がぶつかったとき、国際法で認められている、その紛争を解決するための最終手段。
大東亜戦争とは、「優秀な白人種」 が 「劣等民族である有色人種」 を絶対的に支配し、蹂躙し、奪うのが当然としてきた価値観と、人種の平等と相共に繁栄することを求める理想との戦いであったのだ。
忘れてはならないのは、日本だけが、戦艦、空母、駆逐艦、巡洋艦、輸送船、戦車、大砲、戦闘機、爆撃機、他白人と五分に戦える武器を造り軍隊を組織することができた有色人種で唯一の国家であったという事。
もし、日本という国が無かったら・・・
参考資料など
一目でわかる「アジア解放」時代の 日本精神 水間 政憲 著 PHP
大東亜戦争は昭和50年4月30日に終結した 佐 藤 守 著 青林堂
大東亜戦争の正体 ―それはアメリカの侵略戦争だった― 清水馨八郎 著 祥伝社黄金文庫
世界が語る大東亜戦争と東京裁判―アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集 吉本 貞昭 著
中国・韓国が死んでも隠したい 本当は正しかった日本の戦争 黄 文雄 著
大東亜戦争【不屈の武士道精神】
http://www.youtube.com/watch?v=7QQzmAQ7wEc
http://rekisi.amjt.net/?p=169より転載
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