今日は、父が亡くなった日です。。。
もう、11年がたったのですね!
その日、急に亡くなるなんて、誰もが想像もつきませんでした。
私は、手術予定日の間際に帰省をしました。
岡山を、朝一番の新幹線に乗り、直接、病院に向かいました。
その日の夕方に、姉妹3人で、医師の説明を聞きました。
が、今すぐどうにかなるという症状ではなかったはずです。
ところが、その直後に黄疸が出始めて、手術が延期になったのです。
でも、不思議なことに、手術の延期が決まったとたん、黄疸がきれいに消えました。
医師も、不思議がっていましたっけ・・・。
後で、母や妹達と話したのは、「きっと、神さまが本人も私たち看病する方にも負担をかけないようにしてくれたみたいだね」って・・・。
私は、帰省したその日から、病院に泊まり込みました。
父が、そうして欲しいと望んだからです。
父は、もともと体格の良い人でしたが、徐々にモノが食べられなくなっていたので、口当たりの良いアイスクリームやジュースなどの飲み物を好みました。
夜も30分おきぐらいに、トイレに行きたがりましたが、なかなか出てこないのです。。。
そんな様子を見て、「腹水を抜いてみましょう!」と言うことになったのです。
その日も、母と交代して、私は家に戻りました。
車で帰る途中、めちゃくちゃ眠かったのを覚えています。
仮眠をして、いつもより早めに病院に戻ったら、父の具合が悪くなっていました。。。
今ほど、「エコノミー症候群」っていうのが一般的に知られていなかったですが、肺塞栓を起こしたらしいって・・・。
当時、予防する手立ては、一切していなかったように思います。
まもなく、集中治療室に移って、いろいろと手当てをしてくれてたみたいですが、母には「覚悟をしておいてください!」って、医師から話があったそうです。
私は、仕事中の妹たちに電話連絡を入れたり、夫の会社に連絡をしたり・・・。
それから、入院中のベッドの周りを片付けたり・・・。
頭は、ボーっとしているのに、慌ただしく動き回っていたような気がします。
もともと、心臓が強くない人でしたから、あっけなかったですね。。。
妹や妹のだんな様、それぞれが車で来ていたので、一番下の妹夫婦が先発して家に戻り、親戚に連絡したり、家の中を片付けたり・・・。
私は、父の車で、母と一緒に父を乗せて、帰ることにしました。
裏口から、ひっそりと出るとき、めちゃくちゃ涙が溢れ出ました。
元来、方向音痴の私と、それに輪をかけた母なので、めちゃくちゃ時間がかかったみたいでした。→いつも通る道ではないし、暗くて辺りが良く見えないし・・・。
その時は、夢中で運転していたので気がつきませんでしたが、先に家に戻っていた妹の旦那様たちは、「事故でも起こしているんじゃないか???」と、かなり心配をしていたみたいでした。
母は、呆然として何を相談してもうわの空状態だったので、三姉妹とその旦那さまたちで、お葬式の段取りを進めました。
私は、気が張っていたせいか、お葬式が終わるまで涙が出てきませんでしたね。
母や妹達が涙ぐんでいても、「私は冷血人間かも???」って思うほど、涙は出ませんでした。
来年は、十三回忌です。。。
今年は、お参りに行けないけれど、来年は二人で帰ろうと思っています。
私も父の亡くなった直後って、涙がでなかったような。 ばたばたしていた記憶があります。
亡くなった翌日がすごい秋晴れで、あ~人ひとり死んでも空は関係なく青いし、お腹も減るんだって、今から思えばフツーの感想もってたりして。
このテンプレ、可愛いです。 前より明るくていいと思うな♪
お葬式の終わったあとの、諸々の手続き・・・。
母の様子も気になって、結局、四十九日が終わるまで、岡山には帰られませんでした。。。
そうでしたねぇ~~!
笑い声も出ていたし、悲しくても、お腹減るし・・・。
テンプレ、記事の出方が変なのもありますよねぇ~。
やっぱり、明るい方がいいですね♪
でも、避けては通れないことですよね。
ありがたいコメント、嬉しいです。
エーさんの記事を読んでいると、
実家や父の事を思い出す事が多いです。
私は年齢のわりに子供で、泣いてばかりで
母の役に立てませんでした。いい大人だったのに!
今だったら、少しは母を支えたり
役に立つ自信、あるのになーなんて
早くに逝ってしまった父を少し恨んでたりして(笑)
十三回忌が過ぎると、ひと区切りついたなと
なぜか思ったものでした。
親との別れは、避けて通れないことだけど、考えたくないのも事実ですね。。。
ウチには、母方にも父方にも、お祖父ちゃんと呼べる人はいなかったので、本当のおじいちゃんのようでした。
大往生と言われる亡くなり方でも、お別れは辛いものです。。。
ウチは、私が身軽だったから、ず~っと付きっ切りでいられたけど、家庭の事情があったりすると、大変だったと思います。
でも、母が残ってくれて、ちょっとはホッとしたのも事実なんです。
父が残されていたら、また違った状況になっていた???→ブログもやっていないだろうし、風早さんとも知り合えていなかった???
それにしても、時のたつのは早いですね。。。