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嫉妬は競争の原動力

2015-07-17 21:31:19 | ボンビーの闘い
嫉妬は競争の原動力


http://toyokeizai.net/articles/-/77324

ただ、これまでの教育の問題で、成功体験がもてなかった人や、あるいは、周囲にうまく認められない人の中には、あまり健全でない劣等感を持ち続けたり、あるいは、自己愛が傷ついているために世を恨んだりする人も少なくない。

劣等感は

アドラーの言うように、ものすごいパワーを持つものだ。それが人間の頑張る原動力にもなるが、ある種の攻撃性のタネにもなる。

人間が人に負けているときに感じる不快な感情のことを一般的に嫉妬と呼ぶが、精神分析の世界では、それを2つに分けることが多い。

フロイトは、エディプス期と呼ばれる6歳くらいの時期に、ちょっとした自信をもった子どもが母親を独占したくなって、父親なんて死んでしまえと思うと論じた。この心理が有名なエディプスコンプレックスなのだが、これに気づいた父親は、そんな不埒なことを考えているとおチンチンを切ってしまうぞと去勢の脅しをかけ、結局、子どものほうは母親をあきらめ、性欲も抑圧し、その間に知力と体力を鍛えるという。これが、精神分析の祖、フロイトの発達モデルである。最終的には父親に勝ち、母親以上の女性を伴侶にするのが目的となるのだ。

ジェラシーとエンビーの大きな違い
さて、これを嫉妬という文脈で捉えると、父親に嫉妬を抱くが、最終的に父親に勝つ、父親を見返すということでその解消を図る。これを精神分析の世界では

ジェラシーと呼んでいる。

一方、フロイトの死後に、精神分析の世界をフロイトの娘、アンナ・フロイトと2分したメラニー・クラインという精神分析学者はもっと乳児的、原始的な嫉妬を考えた。

母親にオッパイをもらうと赤ん坊は嬉しいはずなのだが、ものすごく原始的な心性のときには、それでさえ、相手にはいいもの(オッパイ)があるのに、自分にはないのに直面して、不快になってしまう。そして、赤ん坊は母親の乳首に噛み付いたりするのだという。

このように、相手にいいものを持っていると不快になり、破壊的になってしまうような嫉妬をクラインはエンビーと呼んだ。

つまり、嫉妬には、勝って見返してやろうとするジェラシー型のものと、相手を壊したり引き摺り下ろしたくなるエンビー型のものがある。

ワイドショーを見て、かつてチヤホヤされていた人間が落ち目になると嬉しくなる心理は、エンビー型の嫉妬を言えるし、劣等感をバネに勝つまで頑張るというのはジェラシー型といえる。そして、精神分析の考え方では、ジェラシー型のほうが成熟していることになるし、普通に考えても、エンビー型では自分の成長は期待できないが、ジェラシー型は成長や発展の原動力となる。

競争を建設的なものにしたり、劣等感を力に変えるためには嫉妬のあり方を変えないといけないということだろう。

要するに、

競争を建設的なものにして自分を成長させるために使うには、まず、勝てるものを探して、勝てる体験をすること。

次に、その自信をもとに、方法論を探して、少しでも適応的な形で勝つということが大切だ。

その上で、心理面では、自分の嫉妬がジェラシー型なのか、エンビー型なのかを分析して、なるべくジェラシー型にもっていくという心構えが大切なのだろう。

そのためには、まずその方向性で動いてみることだ。そうすることで

競争体験がより充実したものになるし、劣等感が力になるはずだ。