真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

『昭和天皇とワシントンを結んだ男―「パケナム日記」が語る日本占領』 (青木 冨貴子さん 2011年)が凄い

2011-12-09 | 読書-歴史
昭和天皇とワシントンを結んだ男―「パケナム日記」が語る日本占領
青木 冨貴子【著】
新潮社
(2011/05/20 出版)

青木冨貴子(あおきふきこ・1948年7月7日生まれ)

司会者、講演者の名前を間違える!
ニューヨーク在住のジャーナリスト、青木冨貴子さんがシリーズ「著者と語る」で新著「昭和天皇とワシントンを結んだ男 『パケナム日記』が語る日本占領」(新潮社)について語り、質問に答えた。

花水木法律事務所
マッカーサーとの会見は全11回に及んだが、当時40歳代後半であった昭和天皇は、60歳代半ばを超えた「時代がかった将軍の巨大な自己顕示欲に内心、辟易としたばかりか、(トルーマン大統領とそりが合わず、後に解任されることになる)元帥とワシントンとの関係もかなり見抜いていたに違いない」

社会科学者の時評
こちらのご主張の向きはよくわからないのだが、リンク集として貼ったものなり。

当時GHQをカバーしていた記者は、司令部発表をそのまま無批判に記事にする者ばかりだったところ、パケナムは「それはおかしい」とばかり裏を取って批判記事をびしばし書いたもので、司令部には睨まれて・・・という趣旨の話が、現在の日本の記者クラブのクラブ記者諸氏とフリー記者諸氏の関係を想起させて、はなはだ興味深い。
日本語堪能だったパケナムは、関係者からの取材をしっかりできただろうからねえ。

ところで、クラブ記者諸氏は、日本語の通じる相手に日本語で取材できるのだから、(昔のトーキョー特派員諸氏と違って)ハンデはない筈なんだが、公式発表や当局者のリークに依存しないと記事が書けないの?
んでもって、「オフレコ」の懇談で、「看過できないっ!」と思う発言があると、それを書いて、誰かの首を取って、喜ぶの?

軍事ジャーナリスト・黒井文太郎さんのブログ
沖縄防衛局長舌禍事件・その他雑感

佐藤優の眼光紙背:第123回

閑話休題
“As a result,” cabled Newsweek’s Tokyo bureau chief, Compton
Pakenham, “Japan’s armed forces have no definite expansion program.


大戦回顧録
【第三章 戦後に奇跡的経済発展をもたらした戦時の技術】
【どん底という名のスタートライン】
「ニューズウイークの東京支局長はコンプトン・パケナム (Compton Pakenham) だ。彼には戦前からの旧知の日本人が多く、日本語も達者で日本に住んだこともある。そしてニューズウイークの経営母体はハリマン財閥なのだ」

岡崎久彦 「百年の遺産-日本近代外交史(71)」
【「逆コース」を歩む】占領政策転換、足早に成果 (産経新聞2002年6月24日掲載)
四八年三月には、グルーを名誉会長とし、ドーマンなどの知日派を集めた対日協議会が発足します。活動の中心となったのは、ニューズウィークの外交問題編集局長ハリー・カーンです。カーンは戦前からの日本の指導層と親しいコンプトン・パケナムを東京顧問とします。パケナムは牧野伸顕などに接触した結果、カーンに対して「日本の占領は失敗に次ぐ失敗だったことは疑問の余地はない」と報告し、その趣旨の報告をニューズウィークに掲載します。

TEL QUEL JAPON
取材過程そのものが、メインの読み物である

『アメリアを探せ』を探してもらった

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