真似屋南面堂はね~述而不作

まねやなんめんどう。創業(屋号命名)1993年頃。開店2008年。長年のサラリーマン生活に区切り。述べて作らず

「大日本帝国」崩壊 東アジアの1945年 加藤聖文 著

2021-07-16 | 読書-歴史
「大日本帝国」崩壊|新書|中央公論新社

みんなのレビュー:「大日本帝国」崩壊 東アジアの1945 ...

目次
序章 ポツダム宣言―トルーマンの独善とソ連の蠢動
第1章 東京―「帝国」解体への道
第2章 京城―幻の「解放」
第3章 台北―「降伏」と「光復」のあいだ
第4章 重慶・新京―「連合国」中国の苦悩
第5章 南洋群島・樺太―忘れられた「帝国」
終章 「帝国」崩壊と東アジア

カイロ宣言(日本国に関する英、米、華三国宣言)に署名はないし、ポツダム宣言(米・英・華三国宣言)はトルーマンの一人芝居~選挙で敗れて退陣したチャーチルはトルーマンが代理署名、蒋介石には強引に了解を取り付けて「President of China by wire」(中国総統、電信による)とこれもトルーマンが署名
Proclamation by the Heads of Governments, United States, China and the United Kingdom
Potsdam Proclamation, 1945 by Granger

日本軍、樺太や千島ではかなり頑張ったが、満州の関東軍のお粗末なこと。最低の最低。
映画「ラストエンペラー」で溥儀が関東軍の用意した飛行機でいざ出発しようとしていたところにソ連軍部隊がやってきて拘束されてしまう…という場面があったが、その際の写真も掲載。

満州になだれ込んできたソ連軍兵士の軍紀が最悪だった件は、俗にいわれる囚人部隊だったからではなく、ドイツ戦線から転用されてきた精鋭部隊だった、と。独ソ戦でやってきたのと同じことを極東でもやっただけであった、と。げ!
精鋭と軍紀厳正はイコールではないのだ、と。強くて行儀も最悪、が成り立つということか。

まあ、ドイツ軍内でも「酷い殺戮の応酬の東部戦線には行きたくない」という認識があったようで、独ソ戦の実相は恐ろしいものだったようであり、それを極東に持ち込んだに過ぎなかったというのは説得力がある。

大変な目に遭った北方少数民族…
ダーヒンニェニ・ゲンダーヌ - Wikipedia

帝国を運用するなど、全くその水準に達していなかったのだと思う。いい加減な「なんちゃって帝国」のせいで、それが崩壊した際に多くの人命が失われ、後の時代にも問題を残した。

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