置かれた場所で咲く

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一言の重さ 一言の価値

2007-06-10 12:24:38 | あたし的教育論
友人の日記やら最近読む書籍やらに影響を受けまくっています

『悪意ある鋭敏さよりも、善意ある鈍感さのほうが、人を深いところで傷つける』

その一言をあたし自身がどう捉えているか。
その一言を相手がどう受け取るのか。

会話力は想像力だから、いかにその言葉のバックグラウンドや使用意図を捉えようと努めることが、その『傷』を回避することに繋がると思うんだけど

“誰に対してもイイヒトになろう”ってわけじゃないので、思想や信念に対しての批判で傷つくような方に対しては、傷もまた人生、って思っていただくしかないかなぁなんて考えてるんですけど、“傷つけないようにするのはムリ!”っていうのは、何かちょっと違う気がするんだなぁ。
日常の言葉を気をつけようって意識することから何かが始まる気がする。たとえ物理的に、実際不可能だとしても、一縷の望みを、可能性を信じて希求するのが人だって思うから

今までの自分を振り返っても、自分が関わってきた教員を思い返しても、善い人だけど鈍感、って人が多かった気がする。自分も含めてそうなんじゃないかなぁって思う。

子どももまた人なり、子どもは小さな大人ではない、業界によって子どもの解釈って異なると思うけど、子どもって驚くほど相手を見て、見抜く。親として、教師として、だけではなく、人として、一個人として。

子どもにとって、それが生きていくための術だから、全てだから。自分がこれから生き抜いていくために必要なことを、脳の奥の本能で悟ってるのかもしれない。

一言で心に深い傷を負わせることもできるけど、この瞬間のこの一言で救われた、って感じる一瞬があることも事実。

常に思考し続けていきたい。
常に意識し続けていきたい。

理想と現実とは、たとえほど遠くても。