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思考を預ける

2007-11-02 23:25:58 | あたし的教育論

生活の中で思考する場が、最近ますます少なくなっている気がする。
あたしはまだ、24・5年しか生きてはいないけど、そうなってきたのって、ここ50年余りなんじゃないかなぁってにおいがする。

工夫し、協力せざるを得ない不便な生活は、人同士のコミュニティーを活性化させて、生活の中での生きていく知恵を捻り出す必要性があった。道具を使って、工夫しなくちゃ、毎日の生活が成り立たなかった、そんな時代だったんじゃないかな。

不便さを感じると、人はより良い営みを求めて思考し始める。
これは学校の授業とまったく同じこと。
不便さ、足りなさ、課題、こんな動機づけからの行動こそが、自らの血肉になっていくんじゃないかって常に思ってる。
・・・できてるかどうかは、また別だけどさ。


ここ十数年で、世の中はすごく便利になったけど、その便利さや工夫、生活の知恵的なものを手にいれるための代償がものすごい勢いでお金に換算され始めたのも同時進行だったんじゃない?

子どもたちが学べる場が、社会があらかじめ想定した場に限定されつつあるんだ。

今までは生活の工夫から学び取れたものが、大人が準備して課題やらトラップやらを仕掛けた場に移行しつつあるんじゃないかな?

今考えてる原因は三つ。
情報の共有化と、工夫や知恵、サービスの賃金換算。そして、エネルギーは思考の方向に流れていくというひとの実態。

不便な生活は、ステップアップするための道のりの長さとそこまでの過程が、楽しさと生活のための知恵を生み出す。
便利な生活は、これ以上下がりたくないって思いとそのために働くことが、虚しさとストレス発散のための浪費を生み出す。
不便な生活には、知恵と工夫が必要で
便利な生活に必要なのはただ、お金だけだ。

なんだか、そんな気がする。


ないものねだりだっていうのはわかってるよ?
すごく極論。しかも思考力の低下は人のせい?社会のせい?
責任のなすりつけ合いはしたくないもの。


でも・・・これ以上、工夫の余地の少ない生活になってほしくないなぁ。

蛇口をひねるのは面倒だからレバー式になって、ネジの締め方がわからない子どもが増えていく。
自ら遊びを考えるのは時間がかかるし面白くするには頭も使わなきゃだから、お手軽簡単にできるDSで友達と遊ぶ。
辞書使うの面倒だから、ネットで検索して写せばいいや。
やかんでお湯沸かすよりも、ポットで沸かしたほうが手間が省けるもん。

こんな便利なものがありますよ。これを使えばこんなにラクなんです。
わたしたちのアイディアはすごいでしょ?
だからみなさん、これを買いましょう。
便利な生活を手に入れるために、お金を稼ぎましょう。

こんな構図が、ここ半年ずっと頭にひっかかってるの。

国や企業があたしたちの代わりに考えてくれる生活は、便利ではあるけれど、金銭至上主義はどんどん増えていくように思う。
整合性が取れないから、目的と行動が叶ってないから、ストレスを抱える大人や子どもがどんどん増えてるんじゃないの?

社会のシステムがまさにそうなっていて、ジャンルはどんどん細分化されている現代社会、だけど、、、


・・・うーん、なんだかうまくまとまりません。
久々に綴って、内容が雑然としちゃった。

なんか社会に言いたい、若輩者の戯れ言です。
まだ自分の子を産んで育てたことのないあたしの、妄想教育論です。


経験主義なのは、これからも変わらないと思うけどね。




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ksin)
2007-11-15 22:52:19
生活は便利になっていく。
そもそも技術というものは楽をするために発展していくものだから。


そこは論点じゃない。
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Unknown (ちぽ)
2007-11-15 23:45:30
<色:#6622ff>>Ksin

いいジャブをありがとう{スマイル}(笑)
ないものねだりだけど、未来を育む場としての役割を、今の社会は担えてないなっていうのがつまるところの結論だからね{月}

結論に行き着くまでの過程は、好きなだけ議論できると思うよ^^
望むところや!!</色>
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