友人の日記やら最近読む書籍やらに影響を受けまくっています
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『悪意ある鋭敏さよりも、善意ある鈍感さのほうが、人を深いところで傷つける』
その一言をあたし自身がどう捉えているか。
その一言を相手がどう受け取るのか。
会話力は想像力だから、いかにその言葉のバックグラウンドや使用意図を捉えようと努めることが、その『傷』を回避することに繋がると思うんだけど
“誰に対してもイイヒトになろう”ってわけじゃないので、思想や信念に対しての批判で傷つくような方に対しては、傷もまた人生、って思っていただくしかないかなぁなんて考えてるんですけど、“傷つけないようにするのはムリ!”っていうのは、何かちょっと違う気がするんだなぁ。
日常の言葉を気をつけようって意識することから何かが始まる気がする。たとえ物理的に、実際不可能だとしても、一縷の望みを、可能性を信じて希求するのが人だって思うから
今までの自分を振り返っても、自分が関わってきた教員を思い返しても、善い人だけど鈍感、って人が多かった気がする。自分も含めてそうなんじゃないかなぁって思う。
子どももまた人なり、子どもは小さな大人ではない、業界によって子どもの解釈って異なると思うけど、子どもって驚くほど相手を見て、見抜く。親として、教師として、だけではなく、人として、一個人として。
子どもにとって、それが生きていくための術だから、全てだから。自分がこれから生き抜いていくために必要なことを、脳の奥の本能で悟ってるのかもしれない。
一言で心に深い傷を負わせることもできるけど、この瞬間のこの一言で救われた、って感じる一瞬があることも事実。
常に思考し続けていきたい。
常に意識し続けていきたい。
理想と現実とは、たとえほど遠くても。
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『悪意ある鋭敏さよりも、善意ある鈍感さのほうが、人を深いところで傷つける』
その一言をあたし自身がどう捉えているか。
その一言を相手がどう受け取るのか。
会話力は想像力だから、いかにその言葉のバックグラウンドや使用意図を捉えようと努めることが、その『傷』を回避することに繋がると思うんだけど
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“誰に対してもイイヒトになろう”ってわけじゃないので、思想や信念に対しての批判で傷つくような方に対しては、傷もまた人生、って思っていただくしかないかなぁなんて考えてるんですけど、“傷つけないようにするのはムリ!”っていうのは、何かちょっと違う気がするんだなぁ。
日常の言葉を気をつけようって意識することから何かが始まる気がする。たとえ物理的に、実際不可能だとしても、一縷の望みを、可能性を信じて希求するのが人だって思うから
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今までの自分を振り返っても、自分が関わってきた教員を思い返しても、善い人だけど鈍感、って人が多かった気がする。自分も含めてそうなんじゃないかなぁって思う。
子どももまた人なり、子どもは小さな大人ではない、業界によって子どもの解釈って異なると思うけど、子どもって驚くほど相手を見て、見抜く。親として、教師として、だけではなく、人として、一個人として。
子どもにとって、それが生きていくための術だから、全てだから。自分がこれから生き抜いていくために必要なことを、脳の奥の本能で悟ってるのかもしれない。
一言で心に深い傷を負わせることもできるけど、この瞬間のこの一言で救われた、って感じる一瞬があることも事実。
常に思考し続けていきたい。
常に意識し続けていきたい。
理想と現実とは、たとえほど遠くても。
子どもって力が弱いぶん、生き抜く本能として相手の顔色の変化に敏感なんだって。怒らせて食べさせてもらえなくなったらジ・エンドだもんね。
顔色窺がって狡賢く態度を使い分けたりって未満児でもやるくらいだし、子どもに接する大人は毅然とした態度で臨まないと子どもに真意は伝わらないと思う。
話ずれてる?!
何言いたいか自分でわかんなくなってきた{げっ}
確かに、どうして子どもってこんなに尋ねるんだろう、とか、そんなに一つ一つ訊かなくても・・・なんて思っちゃうけど、これって本能のなせる業なのね。
最近の子どもがオトナの顔色うかがわなくなったのは、もううかがわなくてもボクたち生きていける!!って時代が許した遺伝子なのかなぁ。
確かに姿勢は大切。言葉尻だけじゃ伝わんないことも、むしろ表情とか目線とかで伝わることってあるもんね。
勉強になるわ、ゆきちゃん{ラブ}{ラブラブ}
すごーい!!超かっこいい{キラリ}<色:#ff6600>ちぽ</色>{ふきげん}これって毎日こどもと接しているヒトならでは言葉だよね。
オトナがこどもっぽすぎるのもいけないんだろうね。
地球とおなじく人類は病みつつあるのですよ、先生。
親は子どもが泣いたり全身で反抗すると手に負えないし、回りの目が気になるから何でも子どもに主導権があるの。
全部が全部そうじゃないけどね。
・・・ちょっとやりすぎ?!(笑)
子どもが小さな大人ってより、大きな子どものオトナが多すぎる気がしちゃうよね。一部だってわかってながらも、東京の某小学校のクレーム内容とか、税金払わない理由とか、聞いてて悲しくなる{グズン}
生まれる前から子どもは、自身をとりまく環境から学んでるからねー。
小川の流れる音が心地いいのは、お腹にいるときのお母さんの血液の流れる音と酷似してるからだって説もあるし{虹}
子ども中心の生活し続けりゃ、どんな子だってそう洗脳される気がするわ{赤ちゃん}