植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

ヘンリー8世 あくなき結婚と離婚

2007年09月27日 21時29分54秒 | 国:英国
 前回に続き、キリスト教と結婚のお話です。英国のヘンリー8世が離婚したいた為に、カトリック(ローマ法王庁)から離脱して英国国教会を立ち上げた話は有名ですが、実はそうまでして再婚した妃とまたまた離婚し、生涯に6人の妻を娶っています。
 最初の妻は、スペインのキャサリン・オブ・アラゴンです。キャサリンは最初ヘンリーの兄のアーサーのもとに嫁ぎますが、アーサーが急逝してしまいます。キャサリンが持ってきた持参金を返却するのを惜しんだ、父ヘンリー7世はキリスト教では兄弟の妻を娶ることを汚らわしいと考えられているのを、ローマ法王に特免状まで貰って、弟のヘンリー(後のヘンリー8世)と結婚させます。
 しかし、22年の結婚生活で、娘1人(後のメアリー1世)を生んだだけで、待望された嫡男を産めず、死産・流産を繰り返します。

 これが原因で、ヘンリー8世はローマ法王に離婚の許しを請いますが、ローマ法王はキャサリンがイタリアに強い影響力を及ぼしていた神聖ローマ帝国皇帝カール5世の伯母だった為、政治的判断からこの離婚を認めませんでした。※1
 この事が引き金となり、ヘンリー8世は国王至上法(首長令)を発布し、英国国教会※2を立ち上げます。いわば、英国内の教会をローマ法王庁から切り離し、自由にすると宣言した訳です。

 これで離婚も自由になったヘンリー8世は、キャサリンの侍女アン・ブーリンと再婚します。アンは妊娠しており、結婚後娘(後のエリザベス1世)を出産します。娘だったことに落胆し、またアンの侍女だったジェーン・シーモアと通じていた為、アンは結婚3年目にして、無実の罪を密告され斬首されてしまいます。
 その後、ジェーンと再婚しジェーンは待望の男子(エドワーズ6世)を生みますが、直ぐに産褥死してしまいます。
 その後、新たな妃を求めた王は、ドイツのクレーフェ公の娘アン・オブ・クレーヴズと結婚します。しかし、事前に見ていた肖像画があまりにも美化されていた為、本人を見て愕然として僅か半年で、適当な理由をつけられて離婚しています。
 さらにその後、アン・ブーリンの従兄弟のキャサリン・ハワードと結婚するも、今度は妻の不倫が発覚し、結婚1年半後に反逆罪で刑死し、最後にキャサリン・パーと言う女性と結婚します(関係不明)。キャサリン・パー※3は教養が高く、ヘンリー8世の信任が厚く、その結婚生活だけはヘンリー8世が死ぬまで続きました。


※1:フランスの国王などからの離婚は認めているので、宗教的な理由ではなかったと考えられます。離婚は、妻が浮気や子を埋めないなどの理由がある場合のみ認められているようです。

※2:この当時の英国国教会は、離婚できるだけで教義的にはカトリックのままでした。しかし、ローマ法王庁から離れたため、全ヨーロッパのプロテスタントが流入し、エリザベス1世の代にはプロテスタントと分類される教義になりました。

※3:キャサリン・パーは私生児扱いだった、メアリーとエリザベスをヘンリー8世に懇願して王女の地位に戻して貰っています。その後二人の養育を任されています。

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ビーフ・イーター(牛喰い)

2007年09月05日 12時17分38秒 | 国:英国
 英国の観光名所としても有名なロンドン塔の衛兵ビーフィーターに522年の歴史で初めて、女性衛兵が誕生したそうです。
 ロンドン塔は、イングランドを征服したノルマン朝のウィリアム1世が1078年にロンドンを外敵から守るために建設させた要塞で、その後100年以上かけて今の形になります。長い歴史の間に国王が居住する宮殿としても使われ、また身分の高い政治犯を幽閉、処刑する監獄としても使用されました。
 そのロンドン塔の衛兵は、正式にはヨーマン・ウォーダーと言い、ヨーマンは農民です。ヘンリー7世が即位した1485年に国王直属として国民義勇軍として採用した兵が王の近衛兵的存在となり、さらにロンドン塔に収監されている重要囚人を監視する役目まで行うようになったのが始まりだそうです。
 別名のビーフィーター(牛喰い)とは、当時配給されていた食事に、当時は貴重だった牛肉が入っていた為とか。

 このロンドン塔では、ワタリガラスと言う大きなカラスを飼育しており、アーサー王伝説で、王は魔法でカラスに変えたれたことから、この塔に住み着いたカラスを以来、飼育続けているそうです。
 このロンドン塔のカラスが居なくなると、英国は滅びると占われたこともあるそうです。

ロンドン塔に女性衛兵が誕生=522年の歴史で初-英 (時事通信) - goo ニュース

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謀反人とならず者

2007年07月16日 09時56分56秒 | 国:英国
 街頭やテレビで、夏の参議選で各党が熾烈に争っているのが見られます。どの党に入れるかは別議論として、「選挙には行こう!」という事で、今日は政党のお話です。

 「スコットランドの謀反人」と、「アイルランドのならず者」と言うのは、英国の初期の議会で形成された、二大政党「ホイッグ党」と「トーリー党」のことです。

 英国議会は、その初期において1つの問題にぶち当たります。それはジェームズの王位継承問題です。1660年の王政復古で即位したチャールズ2世に嫡子が居なかった為、その弟のジェームズが次の王として有力でしたが、英国国教会が主流となった英国において、彼はカトリックを信仰しており、彼がの王になるのに多くの国民が懸念していました。

 議会でもジェームズの即位を認めないグループと、王位の正当な継承から考えてジェームズを認めるグループに分かれて、議論が行われました。それが「ホイッグ党」と「トーリー党」です。
 ここでの注意点は、トーリー党はカトリックのジェームズが王になるのを喜んでいるのではなく、ジェームズにも嫡子が居ないので、一代ならカトリックの王も認め、本来の王位継承を優先すべきと言う事で、ジェームズの即位を認めていただけで、彼らもカトリックの王は望んでいなかったことです。

 結局、ホイッグのジェームズから王位継承権を剥奪する法案は否決され、結局ジェームズは即位します。
 すると、ジェームズはカトリック保護政策を打ち出し、時代遅れとなった絶対王政的な態度をとり始めます。さらに嫡子が生まれると、トーリー党もその子※への王位継承には反対の立場を取り、議会はジェームズの娘でプロテスタントだったメアリーと、その夫でオランダの総督ウィレム3世を英国に召還し、メアリーを女王として、ウィレムをその共同統治者として即位させます。

 このあたりの「名誉革命」の歴史は、またどこかで書きたいと思いますが、この国を揺るがす問題に直面し、英国では「ホイッグ党」と「トーリー党」が生まれ、この後、それぞれ自由主義・資本主義政策を打ち出す党と、保守政策を打ち出す党になって行きす。

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イギリス名宰相物語

2007年05月27日 11時09分26秒 | 国:英国
 図書館でこんな本を見つけて借りて読みました。小林章夫著で文面がとても読みやすかったです。
 内容は、先のジェンキンスの耳の戦争で登場した初代宰相ロバート・ウォルポールから第二次世界大戦の際の首相チャーチルまでの目だった英国宰相について紹介しています。
 この時代、英国が世界の覇権を握り、それを維持し続け、そしてアメリカに代わられた時代であり、大英帝国の盛衰の歴史を宰相と言う角度から見ている気がします。
 どの宰相も生まれから結婚生活までも書かれており、単に政治家として成したことだけでなく、その人柄が伺えるのが一番良かったです。

 これを読んでからジェンキンスの耳の戦争TRPGでウォルポールを演じたかったとちょっと残念なぐらいです。

 最後に、ウォールポールの言葉を1つ紹介したいと思います。戦争を行わないことが国益になると考え、『有益なる怠慢』と言われる平和政策を取り続けたウォールポールが、王妃キャロラインに述べた言葉です。

 「妃殿下、本年はヨーロッパにおいて5万人が殺されましたが、その中にはイギリス人はひとりもおりませんでした。」

【名言】有益なる怠慢
 戦争を仕掛けず、仕掛けられても和平で回避しながら強国になっていくことを表わした言葉。

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ジェンキンスの耳の戦争

2007年05月26日 10時06分27秒 | 国:英国
 英国がスペインと行ったこの戦争を知る人はどれだけいるでしょうか? こんなマイナーな戦争を、この間まで全3回で遊んだ継承戦争TRPGの番外編として、遊びました。


 1738年、ロバート・ジェンキンスと言う耳の無い貿易業を営む船長が英国議会に現れ、ラム酒に漬けられた自分の耳を翳してこう言います。「スペインの豚どもにやられたんだ!」
 この事件によって英国の世論は一気に対スペインとの戦争に傾き、平和政策を行っていた、第一大蔵卿ウォルポール※1は世論に押し切られる形で1739年10月にスペインとの戦端を開くことになります。


 日本ではまったく無名な戦争ですが、その開戦の経緯はとてもTRPGのゲームマスターの心をくすぐるものです。プレイヤーさんには貴族議員や、海軍艦長、貿易商社などになって、それぞれの思想や利益の為に戦争をすべきか否か活動してもらいました。
 最後は、スペインへの宣戦布告と同時に、ジャコバイト※2の蜂起もあり動乱の幕開けかと思いきや、両方ともすぐにかたをつけ、英国の安泰を感じさせながら終了できました。

 まったくもってこんなTRPGはプレイしない世界観で遊んでいますが、今回もすこぶる楽しいゲームとなりました。


※1:ロバート・ウォルポール。英国初代首相。内閣を組織し、戦争は無駄な浪費と言う考えで、非戦行政にあたり、20年に渡る「ウォルポールの平和」と呼ばれる時代を築いた。

※2:ジャコバイト。1688年の名誉革命で追放された英国王ジェームズ2世を正当な王位継承者として信奉する一派。


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植民地建設400年

2007年05月08日 12時27分28秒 | 国:英国
 ニュースでエリザベス女王が植民地建設400年を祝う為にアメリカを訪れたとありました。おりしも少し前にピルクルで書いていたことですが、英国がアメリカに入植して400年にもなるのですね。
 演説では、入植により先住民や黒人に苦難の歴史をもたらしたことを間接的に認めたそうで、こうやって少しでも過去の出来事が正しく理解され、わかり合っていけたら良いなって思います。

エリザベス女王、16年ぶりに訪米…植民地建設400年で(読売新聞) - goo ニュース

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ピルクルと清教徒

2007年04月28日 10時26分21秒 | 国:英国
あの乳酸菌飲料のピルクルが今復刻パッケージで売り出しており、その裏にこんなお話が書かれていました。


<ピルクルの由来>
ピルクルのネーミングは、1620年に英国から自由を求めてメイフラワー号で新大陸(アメリカ)に渡った102人「ピルグリム・ファーザーズ・クルー」を略してつけたものです。
彼らの持つ人生の新しい可能性に向けてひるむことなくチャレンジする精神にあやかるべく、またお客様がいつもフレッシュで健康な日々を送られるよう、願いを込めて商品名といたしました。



このピルグリムは、実はアメリカに渡った清教徒・ピューリタンのことで、当時英国が国教会を確立する中で、より教会の改革を主張したのがピューリタンです。
このピューリタンの一部のグループが英国での弾圧を逃れて、新天地としてアメリカを目指し、入植していきます。
これが英国のアメリカでの最初の植民地ニュー・イングランドになっていきます。

また、英国に残ったピューリタンは、1642年には清教徒革命を起こし、その後の名誉革命を遠因になるなど、英国の歴史に大きく関与していきます。


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永遠の国益

2007年03月09日 12時08分45秒 | 国:英国
 前回、戦争は国益によって起こると書いた件で、名言を見つけましたので紹介したいと思います。大英帝国の全盛期に首相となったパーマストンは「大英帝国には永遠の友も永遠の敵もない。存在するのは永遠の国益だけである」と言ったそうです。
 これは、何度か同盟のことでこのブログでも紹介したとおり、同盟を結んだ方が有益となるなら同盟を結び、例え同盟国であってもその同盟関係が自国にとって好ましくないなら破棄する必要性をまさに言い表しています。
 まさに、戦況によって旗色を変える場合の名セリフとして使えるのではないでしょうか?(^_^)v
【名言】国家には永遠の友も永遠の敵もない。存在するのは永遠の国益だけである
 同盟を破棄したり、同盟国に攻めるなどした場合。

パーマストン:パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル。英国首相在期1855-1858年,1859-1865年

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パックス

2006年12月09日 20時06分40秒 | 国:英国
最近、アメリカがイラクから撤退すると言う議論が良く飛び交っております。現在の(もう少し前というべきでしょうか)状態を、「パックス・アメリカーナ」(アメリカによる平和)と言うそうで、アメリカの巨大な軍事力・経済力を背景に大きな戦争が抑止され平和が訪れている状況※をさします。

過去にこのよう時代としては、「パックス・ロマーナ」と呼ばれるローマ帝国のアウグストゥスが帝政を確立した紀元前27年から、五賢帝の統治の時代の終わりである180年までのローマ帝国が栄華を極めた時代と、植民地戦争の時代では、19世紀半ば頃から19世紀末にかけて英国が圧倒的な経済的優位性を背景に世界各地に自由貿易を展開し、「パックス・ブリタニカ」と呼ばれる時代を築きました。

いずれも比類する国が存在しないほどの帝国を築き上げたときにこの平和が訪れます。諸国は、その帝国に歯向かうほどの力が無く、帝国も現状を維持し経済発展に努めた方が、侵略するよりも得策と考えた場合にこの状況が起こります。
しかし、いずれもその帝国に陰りが見えたり、他の国が肩を並べるほど成長したときにその抑止力を失い平和は終焉を迎えるのです。

植民地戦争でも同じ現象が起きます。1つの国が、巨大な軍事力を持ち、多くの植民地を獲得してしまった場合、他の国が手出しできない状況になり、戦争が控えられます。この様な状況を同じようにパックス・~と言うのもいいかもしれません。(もし、それがスペインによる平和なら、パックス・エスパーニャとなります)

【名言】パックス・~
 ある国が巨大な軍事力を持ち、多くの植民地を獲得してしまった為に、他の国が手出しできない状況になり、戦争が起こらない状態。


しかし、このゲームでも他国の兵力が追いついたり、同盟や市民革命などのカードで状況が変ることでこの平和は終わりを告げます。


なお、パクスとはローマ神話に登場する平和と秩序の女神のことです。

※平和と言っても、あちこちで紛争や戦争は起きておりますが、日本を代表とするアメリカの影響力がある国々の間では戦争が起きていない状況です。ローマ帝国時代も、帝国との国境では紛争が起きていましたし、大英帝国も各地の植民地に対する干渉は行っております。

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エリザベスⅠ世

2006年11月25日 19時33分28秒 | 国:英国
最近、本をよく読んでおります。今度は、青木道彦著の「エリザベスⅠ世」です。小説風ではなく、史実の解説で多少面白みに書けるところはありましたが、「ハプスブルグの宝剣」と前回読んだ「神の代理人」のちょうど中間の時代で、知識として抜けている間が埋まった感じでよかったです。
しかし、構成で1点納得いかない点が…
女王が、スペインとのアルマダの海戦の前に、防衛軍将兵に演説し、

「私は自分が女性として肉体が弱いことは知っているが、一人の国王として、またイングランド国王としての心と勇気とを持っている」

と言い奮起させるシーンがあるのですが、本誌ではアルマダの海戦の状況を先に説明し戦争に勝ったと結果を説明した後に、その前には女王がこのような演説をしていましたと書かれており、折角の場面が台無しで、逆に書いていないことがとても残念でなりませんでした。

カードゲームでも、敵国に攻められた際に、「我が国土を侵略しようとする輩を我と共に成敗しようぞ!!」と言ってから、兵力カードを出すのもカッコいいですね。是非、今度やってみたいと思います。(#^.^#)

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