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今回は、ヴェネチアについて書きたいと思います。ヴェネチアは、7世紀に東ローマ帝国宗主権下の自治領としてドージェ(元首)が選出されてから、1797年にナポレオンが侵入し滅亡するまで1000年以上に渡って、アドリア海の北岸のヴェネチア(ベニス)を首都として栄えた共和国です。
その版図は、イタリアの現在のヴェネト州からクロアチアのアドリア海沿岸部(ダルマチア)、そして一時は、ギリシャのクレタ島やキプロス島まで進出し、海洋国家として栄え、『アドリア海の女王』と称されます。
その国力を維持していたのは、中東と欧州を繋ぐ地中海交易で、遠くアジア・インドから陸路で持ち込まれた香辛料などを中東・地中海を通じてヨーロッパ各地と交易することで栄えました。アナトリアから中東にオスマン・トルコが進出してからは、対決と協調路線を繰り返しながら、常に交易路の確保に努めました。
しかし、大航海時代により喜望峰航路が発見され、各国が自前で植民地から物資を輸入できるようになるとヴェネチアの交易路の価値が低下し、ヴェネチアは緩やかに衰退していきます。
15世紀にはイタリア諸国を巻き込んで、大国オーストリアやフランスとも渡り合い、イタリアでもっとも強力な国だったヴェネチアは、18世紀末にはナポレオン戦争に向かうオーストリア軍に領内を勝手に通行されるなど、国家としての権威は無くなっており、ナポレオン戦争後のウィーン体制ではオーストリア領として組み込まれてしまいます。
その後ヴェネチアは、イタリア統一戦争を成しえてイタリア王国を建国したサルデーニャ王国が普墺戦争に加担し、オーストリアに勝利したことで、イタリア王国の一部となります。
オリジナルカードゲーム 植民地戦争
その版図は、イタリアの現在のヴェネト州からクロアチアのアドリア海沿岸部(ダルマチア)、そして一時は、ギリシャのクレタ島やキプロス島まで進出し、海洋国家として栄え、『アドリア海の女王』と称されます。
その国力を維持していたのは、中東と欧州を繋ぐ地中海交易で、遠くアジア・インドから陸路で持ち込まれた香辛料などを中東・地中海を通じてヨーロッパ各地と交易することで栄えました。アナトリアから中東にオスマン・トルコが進出してからは、対決と協調路線を繰り返しながら、常に交易路の確保に努めました。
しかし、大航海時代により喜望峰航路が発見され、各国が自前で植民地から物資を輸入できるようになるとヴェネチアの交易路の価値が低下し、ヴェネチアは緩やかに衰退していきます。
15世紀にはイタリア諸国を巻き込んで、大国オーストリアやフランスとも渡り合い、イタリアでもっとも強力な国だったヴェネチアは、18世紀末にはナポレオン戦争に向かうオーストリア軍に領内を勝手に通行されるなど、国家としての権威は無くなっており、ナポレオン戦争後のウィーン体制ではオーストリア領として組み込まれてしまいます。
その後ヴェネチアは、イタリア統一戦争を成しえてイタリア王国を建国したサルデーニャ王国が普墺戦争に加担し、オーストリアに勝利したことで、イタリア王国の一部となります。
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塩野 七生 先生の
「海の都の物語」
を読んで見て下さい。
中央公論社から出ていた文庫本は絶版だったかもしれませんが、新潮社から新装版が出ていたようです。(塩野 七生 作品集だったかな?)
まあ買うと案外高いので、図書館ででも借りて見て下さい。