〜かたることばが歌になる風になる〜

初めてのことは・・・

今月23日で半年が来ようとしている。
今年1月23日に主人が急逝した。
人がこの世にいなくなるというのはあまりにもあっけなかった。
3日後に主人は骨になった。他人事のようにことは進んでいく。
息子たちが祭壇を設置するために、瞬く間に不用品を分別して一部屋を仏間にしてくれた。

私たち夫婦は喋りすぎるぐらいよく話をする夫婦だったと思う。
自分たちの老後のこと、お墓を作るのか要らないのか。遺影の写真はどれにする?など
亡くなった直後は、正直そちらの世界に行くってどんな感じなのと普通に尋ねてみたい気持ちだった。

亡くなって数日経ったころ、うちにあるブルーと白のチェックのガウンを着た主人が、公園のようなところのベンチに、悲しげな表情で座っている夢を見た。ガウンの柄が鮮明だった。
四十九日の間霊はこの世に浮遊しているらしいので、その辺にいるかもしれないと想像したが、その後はまったく夢にも出なかった。

主人は兄弟5人、姉2人、兄弟が全部夫婦二人とも健在だと、一番上の姉が最近友人に自慢したばかりだったのにと落胆していたが、それでも人生70年も生きたら上出来やとも。

長兄は、末から2番目の弟が自分より先に逝ったことを悲しんで一月ぐらい落ち込んでいたと。
また、末の弟と主人は、2年ほど前ちょっとしたことで仲違いして交流が断絶していた。
弟は和解しないまま逝ってしまったことを悔やんでか、四十九日法要の時ずっと泣いていたよと、長兄のところの姪が話してくれた。

主人は終戦の年の9月生まれ。
義父は中学の先生だったが、大家族を養うために、家の裏で鶏をたくさん飼って、子供達も順番にその世話をして、産んだ卵を主人も売りに行ったりしたという。
義母は得意な裁縫を生かし、地元の呉服屋さんの着物の仕立ての内職をして家計を助けていたという、古い映画のシナリオのような家族だ。

義父は中学では「雷」というあだ名がつくくらい生徒にも怖がられていた。
兄弟姉妹の中で一番成績が良かったお姉さんが、いつもは100点なのに、一度98点だったというので、裏庭の土の上に何時間も座らされ、父が答案を確認した印を押してくれず、担任の先生が逆に父を説得に来たという話もあった。
男の子の多い家族だから何か父親の逆鱗に触れて、主人も井戸の上にくくりつけられるというお仕置きがあったと、亡くなった義母から聞いた。今なら虐待で通報されているかもしれないほどの厳しいしつけ。
5人も男の子なので、グレたりしたら先生として面目が立たないという、責任感と気骨の人だったと想像する。
義母はうちの次男が生まれる38年前に60歳で、義父は6年前に95歳の大往生。
その両親に一番早く会いに行くんやねと、姉は棺に声かけていた。


私は、実家の父の時に初めてのことを経験しているので、銀行や役所、社会保険庁に行って、相続関連、遺族年金などの手続きも次々こなした。

亡くなった直後はふと寂しくなる瞬間や、スーパーなどで夫婦連れの人を見ると、羨ましいと思うこともあったが、合唱団のコンサートを5月に控えていて練習をいつまでも休んでいられないし、葬儀後に自宅にお焼香に来て下さる方の対応などで、次々ことをこなしながら忌明けとなった。
そのコンサートも5月23日に終わり、8月は初盆を控えている。

姫路に暮らしていた長男は、実家に近いところに移動を申請していたのが通り、子供の教育を考えて、4月から豊中で暮らしている。
合唱団のコンサートホールには正味電車に乗っているのは10分ほどのところ、近くになったと喜んでいた。
今担当している仕事はかつての父の会社。
すでに父の現役時代の人はほとんどいないのだが、生きていればもっといろいろ聞けるのになぁと。
でも父の仕事の足跡を自分なりに辿っていくつもりと話していた。

時は変わらず静かに過ぎていく。
私はまだまだこれから人生の修行を続けていかねばならないのだろう。
健康であるよう願うばかり。

活動を終了した「女声合唱団風」のこと、「コーラス花座」のこと、韓国ドラマ、中国ドラマなど色々。

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