若いころはカメラで、自宅の一室を暗室にして、白黒の写真を現像、感光していた。何でもやりだしたら凝り性だったと思う。
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その父は、陶芸に入れ込んで25年ぐらい経ったころ、突然「気力がなくなった」と言って、自分の陶芸に使っていた道具を知人にあげてしまい、一切その関連の道具を処分した。自分で設計設置した「窯」は少々大きいので、工場の隅のその場所に昨年まで手つかずの状態で置いていたが、昨年夏、工場や倉庫を解体してその土地を売ることになって、陶芸の先生が「窯」を譲ってほしいと、トラックで運んで帰られた。工場跡地には、今年夏までに全部で8戸の戸建ての内4戸が建ちだした。
今年の夏の半端じゃない猛暑で8月末に突然歩けなくなって体調を崩してしまった父は、日中のほとんどを部屋のベッドで20時間近く眠るようになった。たまに目覚めて、これまで食事をしていた台所へふらふら歩いてくるのだが、ご飯を食べ終るやいなや、急に睡眠状態に入り、まるでロボットのスイッチがOFFになったみたいに動かなくなり、高齢の母では共倒れになってしまう。
幸い同じ敷地内で棟を別に暮らす私たち夫婦が介護することとなった。私たちも若くはない。
父が眠りこけるのを起こしては少しでも食事をと、私は毎日母の分と一緒に食事を作り、赤ちゃんの離乳食のように父に食べさせる毎日となった。ドラッグストアに並んでいる「介護用品」で必要なものを買う内に、こんなものもある、あんなものもある、と新発見がいっぱいあった。
これまで幸いなことに、実家の両親は殆ど病院のお世話になったことがない。しかし父のここ数年の気力の萎え方を見ていて、大した覚悟ではないが、いずれ親の介護もすることになるだろうと、心の準備をしていたのだが、突然四六時中目が離せないような事態が、この1か月に怒涛のように押しかけた。
毎日ヘルパーさんが訪ねてくれて、食事の介助や、体を拭いてくれたり、寝返りをさせる時のやり方など観察しながら参考にさせてもらって、ずいぶん上手に介護できるようになった気がするが、ヘルパーさんたちの心遣いには本当に頭が下がる思いだ。自分の息子とおなじぐらいの年齢のお若い方がたくさんこういう仕事に携わってくれていることも知った。
父の体調が、点滴や、食事などで少し好転したのか、この一週間ヘルパーさんに「デイサービス」に
連れ出してもらえるようになり、同じような高齢の人たちの中で刺激をうけているからか、日中よく起きていて、陶芸の話などもよくしゃべるようになったそうだ。認知症の症状が少しずつ進んでいるようだが、それでも毎日の刺激が本当に重要だと痛感する。
介護の経験も、やって初めてわかることばかりだ。そうなりたくはないが、いずれは自分たちもお世話になるかもしれない・・・やがていく道なのだ。
若い方たちが働く介護の仕事に国はもっともっと支援してほしいと切に思う。