〜かたることばが歌になる風になる〜

「風」指揮者米寿のお祝い会その二

「花座」のほそみっちゃんと大阪環状線乗り場で待ち合わせて「桜ノ宮」で下車すると、ホームで後輩らしき二人と遭遇。
「旧桜ノ宮公会堂」なる場所へのアクセスに自信がないなどと話していたらしい。
改札を出て会場に向かって歩き出そうとしたら、合唱部の2年後輩の登喜子さんや、夏子さんらと一緒になった。
数人で姦しく喋りながら、車の往来の激しい大通りを10分近く歩いて脇道に入ると、その喧騒が嘘のような緑の多い空間に入った。
「旧桜ノ宮公会堂」は、明治天皇記念館として国指定の重要文化財という歴史的建造物で、現在は結婚式場、レストランとして活用しているそうだ。


宴会場では学年ごとにテーブルが設定されていて「風」でずっと顔を合わせていた人以外は、部活での3年間ご一緒した先輩後輩との何十年ぶりかの再会。当時のままの面影の方もいて感慨深かった。
2、3のテーブル以外はほとんど知らない後輩ばかり。

私は元旦から嗅覚が全く効かない状態で、美味しいお料理が運ばれてきても、甘い、辛い、酸っぱいはわかるが何にも匂いがしないという面白みのない会食だった。





潤ちゃんが年末に我が家まで取りにきてくれた、合唱部時代の他大学グリークラブと「合ハイ(合同ハイキング)」した時の写真や、合宿で、当時幼稚園児だった大森先生の坊ちゃんと一緒に撮った写真などがまとめられて、スライドで映し出された。


その時「第一回演奏会」のアンコールで歌った、三善晃作曲の「小鳥の旅」のレコード録音が会場に流れた。
アンコール曲「小鳥の旅」 1970年11月16日大阪「御堂会館」
⬆️これをクリックするとyou tubeで聴くことができる。

伴奏は私。このアンコールは忘れられないことがある。
アンコールの前までステージ上で信時潔作曲(福永陽一郎編曲)の女声合唱組曲「沙羅」を歌っている。
さあ私の伴奏の番とピアノに向かった時、私の手は、ずっと下ろしていたから浮腫んでグローブのようにパンパンになっていることに気がついたのだ(☝︎ ՞ਊ ՞)☝︎

鍵盤からはみ出そうな、ほとんど感覚がない指で、弾けるのだろうか(*☻-☻*)という不安と緊張で前奏を弾き出したことが鮮明に蘇る。
1ステージの委嘱初演の現代音楽「あえかなきざし」で担当したピアノで弦を切ってしまっていて、時折抜けたような調子外れな音もして笑える。
40年以上も昔の貴重な記録が残っていてyou tubeに公開するなんて想像もしていなかった。
時代の経過を実感する。

活動を終了した「女声合唱団風」のこと、「コーラス花座」のこと、韓国ドラマ、中国ドラマなど色々。

コメント一覧

ヘリテージ
いつもありがとうございます!
http://blog.goo.ne.jp/chorus-kaze
くみこ様
「風」のことをいつまでも思って下さり応援をありがとうございました。
先生は林光さんの作品を関西でもっと広めて行きたいとの思いで毎年のコンサートに思い入れされてきました。ご高齢となり、ご自分の引退表明は苦渋の決断だったと思います。合唱団が解散になってからも「これで良かったのか」と言う思いでご自分を納得させる1年だったかと思います。
「風」との年月は団員一人一人のそれぞれに、歴史の一つとして刻み込まれていることと思います。
先生がおっしゃっているCDの件、お差し支えなければ、scarlet.r.a2550@gmail.com(ブログのPC画面でしたらサイドバーの真ん中あたりに『メッセージを送る』があります)にくみこさんのご住所などの連絡先を書いて下さると助かります。
可能であれば私からか、代表から送らせて頂きます。よろしくお願いします。
卒業生くみこ
懐かしい!大森先生!
今年最初の登場です!大森先生の写真を見て、懐かしさと当時の記憶が一気に溢れました。私は合唱の授業でお世話になっただけですが、それでも思い出は結構あります。初めての合唱で適当に座った場所が先生の真ん前!それでも平気で居眠りをする友達の様子を先生が真似をしたり、ある曲のカデンツァをつけるように言われた私は間違って他の曲の伴奏の子にわたしてしまい、必要な日に肝心な楽譜がないということもありました。私と友達の間では先生のことを髪型から『小池さん』と呼んでたことも思い出しました。私の時代は学生の質もかなり変わってきていた頃なので、コピーの楽譜を製本する人がもう少なくなっていたのか、製本していた私のことを山田先生に褒めてくれてあったり、退職の時に『あんたにあげるよ、いつか間に合うかもよ』っと言って、授業で使わなかった楽譜のコピーを沢山下さったことも思い出しました。ニュートラムの中で、金曜の夜、梅田で(←記憶違いかもしれませんが)合唱をしてるが、あんたも来ないか?と言って貰ったことがあり、時間的に無理だったのが残念でした。体調がすぐれない時期が長くなった時に、初めて風さんのコンサートのチケットを送って下さったのが、その後私が毎年コンサートを楽しみにするようになった始りです。(以前、コメントに書かせてもらいましたが)その時から、いつか風さんに入れて貰いたいって思いながらコンサートに通い、そろそろお願いしようと思いはじめたら、風さんの活動がなくなり、どうしても行けなかったコンサートが最後のコンサートだったことも後で知り、残念で残念で。コンサートの後はいつも先生に葉書を送りました。年賀状のお返事は頂けないのに、コンサート後の葉書のお返事はいつも送って下さいました(笑)最後のコンサート後のお返事は大きな封筒で、プログラムと説明のお手紙があり、その最後に『暫くお待ちください、コンサートのCDを送ります』って・・・未だにCDは来ませんが(笑)(笑)(笑)
大変長いコメントで申し訳ありません。もはやコメントではないですよね。まだまだ思い出は噴き出していますが、このへんで止めておきます。
写真など色々あげて下さってありがとうございました。懐かしいひとときでした。
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