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〜かたることばが歌になる風になる〜

鍵盤からこぼれ落ちる真珠

「闘うピアニスト」という異名を持つピアニストの演奏を聴いた。
あまりに衝撃的でなかなか文章に表現できず数日経った。
曲目は、バロック時代(十七世紀ごろ)のドメニコ・スカルラッティのソナタから順に時代を追って、二十世紀のA・ピアソラの「リベルタンゴ」までと盛りだくさんなプログラム。
私は学生の時、恩師からスカルラッティもやってみたらと言われて、このプログラムの2曲目のソナタ二短調をざっと譜読みしたようだが、きちんと仕上げた記憶はなく我が家の本棚に曲集だけがある。
「闘うピアニスト」という名称の意味がわからず、一緒に聞きに来た妹と「音がすごく立つんだろうか、攻撃的な弾き方をするんだろうか」などと言いながらピアニストの登場を待った。終演後に買った氏のエッセイにこう呼ばれる理由を書いておられた。氏が神戸に住んでおられて、お父さんの転勤で仙台に居た時「阪神淡路大震災」があった。翌年神戸に帰ってその悲惨な光景を目の当たりにしたのは高校生の時。
そして2011年「東日本大震災」があった。阪神淡路の時何もできなかったという思いから、音楽家としての立場で色々な活動をずっと続けておられる。こういった活動は、アーティストの方々が辛い世の人々に届けることができるひとつの手段ではあるが、氏は、何百年も続いてきた西洋音楽の中にある、言葉では説得できないもの、人の心の琴線に触れるもの、魂を揺さぶるものが与える感動を、人々に伝えていきたいと日々奔走するアーティスト。そういう姿の代名詞として付けられたそうだ。
この日演奏会場はヤマハのピアノ教室の生徒さんとそのお母さんや、その子達を教えている先生方でほぼ満席。ステージに現れた赤松氏は、子供さんが多いこともあって、スカルラッティという作曲家のことや、時代背景、スカルラッティを輩出したイタリアが、音楽の歴史の中でどのような位置にあったのか、近隣の国にどのように影響していったかなどをわかりやすくお話されてから演奏に入った。
それほど大柄でなく、でも細身でもない体格の男性にしては、色白でスッと伸びたスリムな指先から、ホロホロとこぼれてくるような柔らかい音。スカルラッティのソナタの特に2曲目はそんな印象で聴いた。こんな素敵な曲を仕上げなかった自分の怠慢を後悔した。
スカルラッティの次は、これだけを独立して弾かれるほど有名な「トルコ行進曲」が付いているモーツァルトのソナタ。このソナタの1楽章は、主題のメロディーがあって6つのバリエーション形式。2楽章はメヌエット、3楽章がトルコ行進曲(Alla Turca・トルコ風)。
演奏を聴いて最初の私の衝撃は3番目のショパンの「スケルツォ」だった。
スケルツォとはイタリア語の「冗談」を意味することから、ちょっと軽く遊んでいるようなイメージの曲。スケルツォ2番は、ピアノ発表会などで中学生でもよく弾く定番中の定番だが、ピアノのテクニックはかなり難しい。氏の醸し出すフォルテ(一応大きいとか強くと訳す)もピアノ(小さい、弱い)も、音量というより音色で表現しているように思った。曲の途中の高音部の主旋律のメロディーラインは、どちらかというと控えめに、でもきちんと聞こえてくるが、反対側の普通は強調しない低音部を際立たせたり、一番下のオクターブや和音が嵐の轟音のようであったり、内声部のメロディーが少し強調されたり、マニアックな表現のようでもお仕着せがましくないのだ。
曲の持つ性格を損なわない凛々しさと優しさ、高揚感を出すフォルテの音色など、まるでオーケストラを聴いているようなのだ。私は何度も足先から鳥肌が立った。この人はピアノを牛耳って自由に操っているのだと思った。私が感じたこれらのもの(オーケストレーション)は、エッセイでご自身でも細かく分析して書いおられることと符合して、私はまた身震いするような感覚がした。ピアノで的確に伝えるこのテクニックは、フランス・クリダ(仏)というリストを得意とした、往年のピアニストから厳しく仕込まれたと。この赤毛の女流ピアニストのピアノと人(哲学か?)から学んだということを書いておられた。
休憩後の2部のスクリャービン(ロシア)の「詩曲」と、ドビュッシーの「喜びの島」の、鍵盤の右端の高い音が連なって流れ落ちてくるようなスケール(音階)は、シロフォンのような、ピッコロかな?何と表現したらいいのかと感じていた。リベルタンゴは男性的で、タンゴのリズムに乗って少し攻撃的。アンコールはモーツァルトの「一本の指のワルツ(バター付きパン)」1本の指でグリッサンドが続く可愛い曲。
ベートーヴェンのソナタ「熱情」の3楽章。かなり刺激的でかっこいいとしか言えない演奏だった。最後に、もうこれで終わりですよというようにショパンのワルツ。
たくさんの曲を弾いたあとで3曲もアンコールというサービスで大満足した。
演奏後、ロビーで販売していたCD3枚と「虹のように」というタイトルのエッセイを、妹と半額ずつ出し合って買った。私はこういうところでCDを買ったり、サインしてもらったりすることは少ない。サインを頂いたあとの握手で分厚い手だと思った。
上述した、シロフォン?、ピッコロの音色?と思った印象は、「赤松林太郎 虹のように」の中に、的確に表現したフレーズが書いてあった。それは、氏があるピアニストと出会った時聴いたピアノの音を「ピアノからは光り輝く真珠玉が無数にこぼれ落ちた」と表現していた。
『鍵盤からこぼれ落ちる真珠』まさしくこれだ!

活動を終了した「女声合唱団風」のこと、「コーラス花座」のこと、韓国ドラマ、中国ドラマなど色々。

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