とにかく、1週間に45リットル有料袋を2つ以上ゴミ出しするを目標に
断捨離しています。
数ヶ月しばらく実家に住んでいたことがあった2番目の妹が
実家に一人用のコタツをそのまま置いていたので
それを引き取りに来て、またまた昔の思い出話でお昼前から5時間近く
笑いっぱなしの時間を過ごしました。
妹の話は、独身時代に少しの間お勤めした、某大学のお医者さんの卵の研究室の
妹が居ることも、女性とも思っていないような下ネタ連発の男性たちの話を
サラッと聞き流していた職場のこととか、短気だった父との
私が知らなかった出来事など。
子供の頃
実家が留守でみんなが不在になるので、父から実家の鍵を預かり
それを妹は、自分の判断でか自分も出かけるからか
庭の灯篭の見えない場所に置いていて
帰ってきた父が「鍵が無い無い」と探して、呑気に「ここに置いている」と言うと
短気な父は「こんな所に置いて❗️」と物凄く怒り
ポカっと頭を叩かれた話を、自分が呑気な気の利かない子供だったからと笑う妹。
三姉妹というとさぞかし淑やかだと思う人が多いのですが
母を除いて、姉妹で喧嘩をすると凄まじい激しい喧嘩だったという話題に。
女の子は口が達者だから、激しい罵り合いをしますが、決着つかないので
終いには、寝っ転がって足で蹴り合いをして応戦するということもありました。
二番目の妹が多分小学生の頃でしょうか。
父が昼寝をしていた傍らでアイロンがけをしていて、急にお腹が張ってきて
堪えていたけれど◯◯が出てしまい、それが自分でも思いがけないようなデカい音で
その音で父が目を覚ましてしまい「何やぁ〜×#&?※」と寝ぼけて呟き
また寝てしまったという話に爆笑。
小さい時から私と違って大人しい子供だっ妹の、破天荒?なエピソード。
小さい頃はほんとにおとなしくて、ちょっとひ弱な感じに見えていた妹で
元気いっぱいな男の子のように突っ走っていく私とは、対照的な女の子。
親戚の叔母さんたちは
「◯◯ちゃんは老成されている」が口癖でした。
実は大人の言動を静かに見ていて、バカバカしいと思って発言しないとか
女子ばかりに仕事をさせる男性の先生の理不尽な指示に
わざと任されたことをしなかったりするという
大人が思いもよらない反抗をしていたようです。
また、授業中先生が質問すると生徒たちは「ハイ、ハイ」と
競って先生に当ててもらおうとします。私はこういうタイプの生徒。
母が参観日に行くと、生徒の殆どが手を挙げているのに
妹だけ挙げていない。
なんで挙げへんの?と残念に思う母。
妹は「なんでこんなくだらない質問に答えなあかんのか」と思っていたとか。
「そうやったんかぁ」と今更のように「老成」されていたんだと。
今は普通に姦しくおしゃべりしますが💦
実家の片付けでは、若い頃にカメラに凝っていた父の
私たち姉妹を被写体にして撮った写真の、ボロボロのアルバムが何冊かあって
先日来これをタブレットに写メしています。
USBメモリに保存すれば思い出も褪せません。
下の写真撮影の時、私は熱を出して臥せっていたところを無理やり起こされ
「子供の日」の記念撮影で座らされてしんどかったという5歳ぐらいの写真。
この写真を撮った時多分母はこの場に居なかったのでしょう。
やんちゃんな私は動き回っていたのか、帯締めは帯の下にあるし
帯揚げが形を成していなくてぐちゃぐちゃ。
私は高いコッポリを履き、妹は靴を履いています。
母がそばに居たら、きっと着物を綺麗に直してくれていたでしょうね。
この写真に二人で爆笑。
写真の表情でそれぞれの性格がわかります。
二番目妹はいつも半分目が瞑りかけとか、目を瞑っているのが多かった。
私はこの頃から、写り方を気にして目を見開いていたようです。
三番目妹は文句なく可愛い。
小学校5年生ぐらいの時の三番目妹のエピソードで、私(中2)が作った短歌です。
「ぐるぐると母のまわりを回りつつ かばんも置かずしゃべる妹」
縫物をしている母の周りを、ランドセルを下ろしもせず
いつもその日あった学校でのことを屈託なくお話していた妹の様子です。
父がマメにカメラで撮ってくれていた写真が語る
私たちの思い出の一コマを一つ一つパソコンに移して断捨離です。