あるサイトに掲載されていた記事からですが
「東京出身の記者(33)は大阪に赴任して1年半。
関西での日々の暮らしの中で戸惑ったのは、真面目な会話をしていても
最後に「知らんけど」と付け足す人が多いことだ。
少し無責任にも感じる言葉だが
そこには商業の街として栄えた大阪の歴史、土地柄も密接に絡んでいるらしい。
関西の人々は実際、どれだけ「知らんけど」という言葉を使うのか」
昨日の◯◯なショーで、司会の東野さんや、松本人志さんらと共に
この番組で調べたらしい「知らん」「知らんわ」「知らんけど」「知らんなぁ」など
使う側の気持ちと、聞いた側の受け取ったイメージの違いがあるとかで
大いに賑わっていました。
関西の「知らん」という返答は、いかようにも取れる言葉で、上記の4つなどは
語尾の伸ばし方、揚げ方で、投げやりにも、気遣いにも、はぐらかしにもなり
関西人特有の、話題をはぐらかす手段や、相手への思いやりを込めて
やんわり返す会話の手法だと思います。
昔、某引越センターのCM「ボチボチでんなぁ」は、商業の街の柔らかい返答です。
少し話はそれますが
私が小さい頃から地元で聞いていた日本語だと思っていた言葉があります。
「チョンガー」と「〇〇ジョー」
私が長年観ている韓国ドラマの台詞の中に時折聞こえてきます。
韓国語で「チョンガー」は「独身の青年」を差す言葉のようですが
子供時代から地元で聞いていた(最近は全く聞きませんが)この言葉は
子供心に少し蔑んだ感じで言う「独身男性」を指す言葉だったと記憶しています。
それと地元では、「そうやね」という肯定の言葉を
「そうジョー」と言ったりしていました(最近は殆ど聞きません)が
私は「そうじゃ(よ)ね」が「そうジョー」になったんだと思っていました。
韓国ドラマで、時々「〇〇ジョー」という台詞が聞こえることがあります。
地元では、昔朝鮮人の方が暮らしている地域があったりしたことを思いだし
韓国ドラマを観るようになって、朝鮮語が地元に普通に溶け込んで
使われていたのだと今頃知りました。余談ですが。
殺風景ですので、ちょこっと以前の写真を。
2019年に行った地元の山手のお寺の紅葉の写真です。