【2016年6月の記事を加筆修正しました】
と
ことばを介さないコミュニケーションがあります。
たとえば
目と目
触れ合う
て、てれぱしー(笑)
触れ合う
て、てれぱしー(笑)
とかですかね。
双方言葉を交わさないだけで
五感で交わし合うなにかがある場合。
双方言葉を交わさないだけで
五感で交わし合うなにかがある場合。
また、
表情
声
体の動き
全体の雰囲気(やわらかい、トゲトゲしてる、弱い、とかね)
を見て、
それらの非言語的情報を得ながら
相手を推察しながら
わたしたちは
言語でのコミュニケーションをとったりしています。
(対人援助職はとくにここを叩き込まれたり
訓練しているんだなあと書きながら思う…)
表情
声
体の動き
全体の雰囲気(やわらかい、トゲトゲしてる、弱い、とかね)
を見て、
それらの非言語的情報を得ながら
相手を推察しながら
わたしたちは
言語でのコミュニケーションをとったりしています。
(対人援助職はとくにここを叩き込まれたり
訓練しているんだなあと書きながら思う…)
えっと
なにがいいたかったんだっけ(笑)
そうそう、
沈黙がこわいかたいらっしゃいますか?
実はわたしがそうでした。
肯定的なリアクションが欲しくて
ウケを狙ったり
よくしていたな。
静かにしていることでバレちゃうかもしれなかった
物静かな自分の側面は
もしかしたら否定されるかもと
怖かったです。
もしかしたら、こんな自分じゃないと愛されないと自分を許せないときは
そうやって怖くなるのかもしれない。
いまは、気づけばそこ気にしないよーっていう方ばかりがわたしの周りにいてくれてることが心底有難いし、
なによりわたくし
「別に愛されなかったからって何?わたしはわたしですからねー」
っていう図太さをいつのまにやら携えておりまして(笑)
まー生きやすくなったもんですよ。
40代万歳です😊
愛したかったら愛したらいい!みたいなね。
愛するって、小さな優しさをわたしたり
あったかい言葉を伝えたりすることからだと思っていまして、いまのわたしにとってそれ自体が幸せを感じること。
愛されるために自分を曲げるエネルギーは結構なエネルギーの浪費になることもいままでの経験で知ったから、そんなことに力を使うくらいならば…
自分を知り、自分や大切な人を思う存分愛することに注力してしまうようにしようと。
そして、愛を目の前にだされたら、めちゃくちゃ感謝しながらぜんぶ受け取る!
それが自然でここちよいエネルギーのやりとりになるのを覚えてしまったのは喜ばしいことかもですね。
そしてそして、沈黙は金といいますが
自分とゆっくり繋がり解放していくと
ひととの沈黙のなかにある
豊かな空間を味わうことができるのだと思います。
あるときね
友達といたときに、
沈黙のなかにあったかなコミュニケーションをとてつもなく感じた瞬間があって
それはいまも覚えています。
ああ、こんなこともあるんだなあとおどろいた。
わたしを心底許して開いたときに
言葉はなくても
目を合わさなくても
触れていなくても
繋がるあたたかさがある。
相手のなかの優しさに繋がる瞬間がある。
それはまさに自分を愛することができる瞬間と時を同じくするのじゃないですかね。
ブログもそうかもしれない。
一方的なように見えての言語的かつ非言語的なコミュニケーションツールなのかも。
だから初対面でも
カウンセリングにきてくださるかたとお目にかかるときは
「こんにちは、はじめまして」
っていいながらもお互い笑っちゃうくらい、初めてな気がしないんじゃなかろうか(笑)と考察してみたり。
セッション受けていただいたかた、いかがですか😆
そして、みなさんはどうやってご自分とコミュニケーションをとっていらっしゃいますか?
そういえば、自分とのコミュニケーションって言語とも非言語ともつかぬ感じですよね。
わたしは、現時点では五感を使って自分が自分からの問いかけに答えてくれるような、そこにヒントがあるような気がしています😊
さら