みなさま こんにちは😊
いやはや、湿気がすごいですねー!
雨が好きなのに高温多湿が苦手って…😂
我ながらどうしたものかと思いつつ
歩いていました🤭
木々の緑も随分と色濃くなってきています。
夏の足音も徐々に聞こえてくるようだわ〜とふと気付けば!
もうすぐ5月もおわりなんて😳
本当に時が経つのは早いですね〜
突然ですが
最近、
「怖い」
という言葉を耳にすることが多くて、
「怖い」ってなんだろうなって
思いを馳せていました。
怖い、って
未来の、未知の領域のエネルギーに
すこしの過去の記憶を混ぜて、
かつて感じた傷の痛みを
今おなじように再生しないようにしないようにする自分を守るための鎧
という側面がある一方で。
生物いち個体として
最初からもう自動的に備わっている
生存のために必要なもの
だったりもしますよね
もう本能っていうか。
たとえば
怖いから、しない
もあるし
怖いから、する
もあるわけで
怖いを起点に動いたり止まったり
よくしているなあ…って
なんとなく思ったのです。
「怖い」
って
それそのもののインパクトが大きくて
日々生きていく上での
細かいことひとつひとつが、
もうとにかく怖くて仕方ないとか
恐怖が大きいこと
そのものが大きな悩みになっていることも少なくない、というか…本当に多い印象です。
これは年齢も性別も関係ないんじゃないかなと思います😌
さらに
怖いな、って思っていることを知られてはならない
とか
怖いなどと言うほどの
弱さを見せたら終わり
とかもありますよね。
こちらはもしかしたら
ある程度年齢を重ねてきたかたのほうがむしろあるあるかもしれないですよね😌
怖さを抱えていることを隠したり
気づかないふりをしたり
気づくと厄介な気がして
気づかないように鍛えてみたり。
わたしもそれ思い切りしていたし、
いまだってきっとどこかでしてるだろうなと思います。
だって
こわいよ、ってなかなか言えない🥺
って自然にパッと思いますもの。
怖いよ、っていうことが既に怖いっていうか🥺
どの程度の出来事が起こったら
どの程度の怖さがやってくるのか
これって、
ひとりひとり顔がちがうように
みんな全然、まるっきり違うんですよね。
それが当たり前であるにも関わらず
「その程度で怖がってるのか?」
みたいなことをサラッと軽めにいわれてびっくりしたり
「自分はこの程度で怖がるダメなやつなんだ、自分はやっぱり弱いんだ😢」
って
怖さを感じた自分を
誰かのものさしで測って押し込めたりするような…
そんなすれ違いもよく起こっています。
怖さって、
その人がどう感じたかが全て。
常識とか正解とかスコアとか
もちろんなんにもないわけで
みんなそれぞれ閾値も違うし
同じところから見れることなんてなかなかないのが当たり前。
実は
そのことをただ知ってるだけで、
誰かをナチュラルに見下してしまうことも
自分をナチュラルに否定してしまうことも
かなり減ってくるように思います。
みんなそれぞれ、バラバラでオリジナルな取り扱いなんですよね、怖さに対しては😌
そんななか
自分のなかの
怖さや弱さをしっかり自覚したりとか
それらをまっすぐ認めるのって、
ぜんぜん!弱いどころか、
かなりの強さがないとできないこと。
自分の弱さ、怖れ、寂しさとかって
まんまを外に出すことって
とっても勇気がいることだと思います。
たとえば
それを出しても大丈夫だなと思える人が近くにいてくれて、
怖かったんだね
きっと怖かったよね
わたしのときは
こうしてみたら少し楽になったよ
教えてくれてありがとうね
とかって
もし、
まるごと受け止めて
受け入れてくれたら…
弱さが
ゆっくり熟成されて
深く大きな強さに
じわっと形を変えていくさまを
きっと打ち明けられた人ともお互いに
感じることができるんですよね😌
それは1人ではなかなかできないこと✨
お友達、家族、パートナーはもちろん
カウンセラーさんなどなど
安心、安全な場で
ただ、じぶんを開いて聞いてもらう
って、それ自体がもうなんだかすでに
怖いかもしれないのだけれど
思い切って怖さを出したその場所から
静かにあたたかく立ち上がってくる準備ができている自分の強さを信じてほしいし
そこから先
優しくあたたかな時間が自分の人生を満たすことを
思い切り許可してほしいなと思います✨✨
怖い
って、
もしかしたら、
幸せの一歩手前で訪れる
かなり大事なサインなのかもしれない😌
躊躇なく
「怖い🥺」
を真っ直ぐ放つ強さと優しさ、
自分にしっかり蓄えてあげて
いろんな閾値を持つひとたちと
怖い、をあれこれ共有しながら
みんなで幸せを作れたら最高だなと
思っているんですよね😊
ということで今日はこの辺で✨✨
ではでは
またー✨✨
さら
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