夜明けに常生は蒲州城の南の澗水のほとりまで逃げてきたが、追っ手が迫っているので必死に身を隠すところを探した。
あたりを見回すと、婆さんが川辺で洗濯しているのが眼に入った。彼は挨拶をするのももどかしく、救いを求めた。
すると婆さんは、常生の鼻の脇を殴って、流れる鮮血を顔になすりつけ赤く染めた。また、彼の髪の毛を一束切ると唾で口の周りに貼り付けて、ヒゲに見せかけた。
そこへ官兵がやって来た。
「婆さんよ、今ここに色の白い若者が逃げてこなかったか?」
婆さんと常生が頭を横に振ると、官兵は喚声をあげて駆け去った。
助かった常生は、官兵が遠くへ行ってしまってから、川の水で顔を洗おうとしたがどうしても落ちない。洗えば洗うほど、ますます赤さがはっきりして、川の水がにごるだけだった。
そこで常生は分かった。これはきっと神様が助けてくれたのだと。礼を言おうとして振り返ったら、ついさっきまでそこにいた婆さんは、いつの間にか姿を消していた。
《関羽の顔が赤いわけ》には、こんな話があったのだ。
ついでに、常生が関羽を名乗るようになった経緯も記しておこう。
真っ赤な顔になった常生は大慶関まで落ち延びると、関所が行く手を阻んでいた。常生はそこで守衛の取調べを受けた。
「お前の姓名は?」
常生は関門に掲げてある「大慶関」の看板を見ると、とっさに
「姓は関だ」と答え空を見上げる。
すると青空に細長い雲が漂っていた。ちょうどそこに雁が飛来し、羽を一枚落としていった。
常生はそれを見て、さらにこう答えた。
「姓は関、名は羽、字は雲長」
こうして関羽という名前ができたというのだ。このあと、黄巾の乱で乱れた都へ出て行き、劉備、張飛と出会い桃園の義を結ぶことになる。(おしまい)
このページから読み始めた方は、前号をご覧になってください。
「関羽の顔はなぜ赤いのか? (その1)」
「関羽の顔はなぜ赤いのか? (その2)」
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(注)『横浜の華僑社会と伝統文化』(著:陳水發)から引用。
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