![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/52/65f837dc90a6787c1d41fac98f4a5681.jpg)
![]() 昭和48年1月に創刊された月刊誌『中華街』。その第2号が翌月の2月に発行された。 この号から連載談話室「私と中華街」という企画が始まった。そのトップバッターは横浜市長の飛鳥田さんである。 彼が初めて中華街に足を踏み入れたのは5~6歳の頃だという。飛鳥田さんは大正4年の生まれだから、5~6歳というと大正9~10年のことだ。 左のページは談話室資料コーナーで、横浜市企画調整局企画課の話が出ている。そこには、こんなことが書いてある。 ・県民ホールを建設中 ・産業貿易センタービルの計画 ・尾上町から本牧へ通じる地下鉄3号線 ・中華街入り口付近の空地を買収し、市の開発公社を通じて200台収容の立体駐車場を建設する ・現在埋立て中の、関内から花園橋へかけての運河は、やがて「大通り公園」として整備される (注:これは編集部の間違いだろうね) ![]() ![]() 中華街史実録② 明治中華街繁盛記 ここでの話は、主に『横浜繁盛記』から引用している。 この本はなかなか面白いのでお勧めだよ。 関西大学デジタルアーカイブに載っている。 ![]() ![]() ![]() ![]() 店主登場「店に歴史あり」のコーナー。 当時、「萬珍楼」の店主はこの方だった。 「明揚」。 食べ放題をやっていたっけ。 この店が閉まったのは2006年頃だった。 ![]() |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます