←クリックして拡大 月刊『中華街』の昭和48年3月号からその一部をご紹介。これは創刊第3号だった。 表紙をめくると、いきなり大きな広告が現れた。サウナ「バンバ」である。写真を見ると「ウィンドジャマー」の上階にあったようだが、私にはまったく記憶がない。というか、この時代、ほとんど足を踏み入れていなかったからね。ここには女性マッサージ師がいたんだね。どんなサウナだったんだろうか。 昭和41年の中区明細地図を見ると、同じ場所にサウナ「山王」があったことが分かる。おそらく、そこが店名変更したか、あるいは居ぬきで誰かが購入したのだろう。 ちなみに、「バンバ」というのは経営者の名前みたいである。同じ経営で、本牧1丁目にレストラン「ラ・バンバ」が、元町にもレストランとゴーゴクラブがあったようだ。 隣のページは目次である。中華街人物誌③には王鶴明さんが登場しているが、どんな人だったんだろうか。本文がないので、そこは不明だ。 ←クリックして拡大 連載・談話室「私の中華街」②には歌手の淡谷のり子と野球選手の柴田勲が登場。 淡谷のり子は昭和4年に東洋音楽学校(現・東京音楽大学)を卒業。その頃、よく中華街に行っていたという。 歌手になってからは元町の美容院に通っていたが、その帰りには必ず中華街で食事をしていたそうだ。どこの店で食べていたのかなぁ。 柴田勲は法政二高当時に、よく中華街を利用していた。当時、主な店には全部入ったというから、かなり通っていたみたいだ。 ←クリックして拡大 連載・店主登場「店に歴史あり」では4人が紹介されている。 一人目はサテライト・ホテルの総支配人、丸山登さん(63)。サテライト・ホテルがどこにあったのかは、11月3日の記事に出ているので、ご存じない方はそちらをご覧になってね。 二人目はパブ喫茶「ai」の高梨博美さん(23)。これは知らないぞ。どこにあったのかな。当時の地図で探してもなかなか分からない。 三人目は「東亜楼」の蘆兆麟さん(41)。父親が経営していた時は「東亜亭」といっていたが、この方が引き継いだときに「東亜楼」と名称変更をしたという。 この店が閉店したのはいつだったのか忘れてしまったが、そのあとに入ったのは「カモメ」だった。 そこが閉店したあとは「王府井」が入ったのだが、それも撤退し現在は「縁占館」になっている。 なお、「東亜楼」については当ブログを開始する前に閉店したか、あるいは調査が間に合わなかったのか、理由は不明だがここでは扱っていない。 ただし、その前にやっていたホームページで取り上げているはずだと思い探してみたが、やはり実食した時の記録がない。 4人目は「金陵」の簡蘇梅さん(50)。同店は関東大震災後に開店したというから、その歴史は長い。 中華街大通りにあった「金陵酒家」には何度も行っていたのだが、ブログを始めたころには閉店していたので記録はホームページにしか残っていない。(現在は閉鎖) これが当時の記録だ。 ↓当ブログで取り上げた「金陵」に関する記事一覧。 時間があったら読んでみてね。 中華街大通りの「金陵酒家」が閉店!(2007年5月) 関帝廟通りの「金陵売店」がリニューアルオープン(2007年6月) 金陵の叉焼飯をテイクアウト(2007年7月6日) 関帝廟通りの「金陵」2階でランチ(2007年7月9日) 金陵酒家、解体始まる(2007年9月22日) もしかしたら歴史的建造物になったかもしれない「金陵酒家」(2007年11月13日) あぁ、金陵酒家! あぁ焼き豚丼!(2007年12月13日) どっちの「汁なしネギソバ」がお好き? ~金陵 & 海南飯店~(2008年4月23日) 再び「金陵」の皮付きチャーシュー丼(2008年7月30日) 焼物の「金陵」でいただくモツもうまい ~モツ類丼~(2008年8月27日) やっと巡りあえた「金陵」の豚バラ肉ご飯(2008年12月18日) 汁なしネギそばとは違う涼拌麺(冷やし中華)@金陵(2009年6月17日) 金陵のまかないから昇格か?「ネパールカレー」(2009年12月2日) 本場ネパールカレー@金陵(2010年1月7日) カレー拌麺@金陵(2010年10月26日) 「金陵」にてチャーシュー&焼豚丼(2018年6月21日) 旧「金陵」の裏に広がる広大な空き地(2018年7月1日) ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
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