今からン十年前、私がまだ可愛い高校生だった頃のお話です。 特別に英語が出来たっていうわけではないのですが、部活はなぜかE.S.S.(English Speaking Society)に入っていました。 いわゆる英語部っていうやつですね。 クラブ活動のメイン行事は秋に行われる学園祭での英語劇。 5月から台本の読み合わせを始めたあと、夏合宿では演技の練習も加わって、本番までの毎日をほんとうに楽しく過ごしていました。 2年生になるとクラブの運営を全面的に任されます。 そこで、部長だった私はこの年の脚本を探すため、あちこちの書店で立ち読みをして、一冊の本にめぐりあいました。 それがイギリスの詩人テニスン(1809.8.6~1892.10.6)作の『イノック・アーデン』でした。 あらすじはこんなです。 舞台はイギリスの港町。 そこに3人の幼馴染が暮らしていました。 漁師の息子でしっかり者のイノック、おとなしい男の子フィリップ、そして可愛らしいアニー。 3人は何のわだかまりもなく仲良く遊び成長していきますが、いつしかイノックとフィリップはアニーに淡い恋心を抱くようになっていきました。 やがて成人したイノックはアニーと結婚。 子どもにも恵まれ幸せな家庭を築いていきます。 一方のフィリップはそれを静かに見守るだけしかありませんでした。 ところが、船上での怪我がもとでイノックは仕事を失い生活は一気に困窮。 仕方なく彼は高額な報酬を求めて、遠洋漁業の船に乗り込み東洋まで出かけていくことにしました。 当時はかなり危険な航海だったのでしょう、間もなく漁船は難破しイノックは無人島に流れ着いてしまいます。 そうとは知らぬアニーはイノックの帰りをずっと待ち続けていましたが、小さな小間物屋の収入だけでは子どもを養えません。 見るに見かねたフィリップがこの家族を何かと支援していきます。 10年が経過したころ、もはやイノックは死んだものと思い、アニーは甲斐甲斐しく世話をしてくれるフィリップと結婚してしまいました。 ところがそれから数年後、イノックは無人島から救出され、懐かしい故郷へ帰還してきたのです。 イノックは一抹の不安を抱えながらも、妻子の待つ我が家へと急ぎました。 家に近づくと、中から楽しげな笑い声や歌声が聞こえてきます。 「ん? 何だろう?」と思い、窓から部屋を覗くとそこには信じられない光景が… 暖炉の前でくつろぐアニーとフィリップ、そして二人を取り囲む子どもたち! 彼は一瞬にして自分の運命を悟りました。 もはや中に入るわけにはいきません。 妻と子どもたちの幸せそうな生活を乱さぬよう、ひっそりと窓辺から立ち去ります。 そして、波止場近くにある安宿で素性を隠して暮らすことに。 毎晩、酒場で酒を呑んでは過去を思い出し涙するイノック! やがて自らの死期が近づいたことを悟ったとき、イノックは宿の女将にすべてを話し、この世を去って行きます。 だいたい、以上のような話でした。 私は本屋でこの脚本を立ち読みしながら、しきりにキャストを考えていました。 それというのも、同学年の部員にエヌさんという可愛らしい子がいて、彼女と自分の役をどうするかが、脚本選択の大きな基準になっていたからなのです。 小柄なエヌさんは笑顔がとてもチャーミングで、話し方もスレタところがなく、私は1年生のときから淡い恋心を抱いていました。 ですから当然、イノックは自分、アニーはエヌさんと、配役は即決定です。 それからの練習は、ほんとうに楽しかった。 肩を組むシーンなんか、ぼーっとしちゃってね。 現実の世界ではこんなことできないウブな高校生だったので、役得…。 ところで、この作品は当時、「メロドラマ」というジャンルに入れられていたようです。 といっても、今で言うお昼のTV番組のメロドラマとは違います。 メロディー付きのドラマという、朗読劇にBGMが流れるスタイルだったとか。 その曲を作ったのがドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスです。 ただ、私たちの脚本では、このような曲を取り入れるのは難しいので避けたのでしょうか、劇中歌は「オーラ・リー」になっていました。 年配の方ならこの曲をご存知でしょう。 楽器演奏の初歩練習でも取り入れられていることが多い、アメリカの民謡です。 当時の私たちは、これを歌いながら何かヘンだなと感じていました。 これってエルビス・プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」と同じメロディーじゃないですか。 当時の私たちは脚本家がパクッたのだと思っていましたが、後日、本当のことが分かりました。 この曲は南北戦争の頃に兵士たちが、故郷に残してきた恋人を思って歌っていた歌だったのです。 おそらく、オーラ・リーというのは女性の名前なのでしょう。 これをカバーしたのがプレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」でした。 そして、この英語劇がきっかけとなって、エヌさんと私は急接近しお互いに愛を…… な~んていうことにはならず、楽しくも淡い思い出の残る高校生活を終えて、私たちは別々の道に進みました。 以後、「ラブ・ミー・テンダー」は私のカラオケ人生の十八番となり、福富町あたりのスナックで昔を思い出しながら涙して歌っていたものです。 この曲が再び脚光を浴びるようになったのは20数年前のことでした。 忌野清志郎率いるRCサクセションが歌った同名の「ラブ・ミー・テンダー」。 ただし、歌詞を変えて今度は「反原発ソング」としてヒットさせたのでした。(メッセージ性としては「サマータイム・ブルース」のほうが凄い) そして、今回の大地震をきかっけとする原子力発電所の事故。 今また彼らの歌があちこちで聴かれるようになってきました。 20数年前、私たちは忌野清志郎のメッセージをもっと真剣に聴くべきだったと思います。 なんだかつまらない昔話になってしまいましたが、『イノック・アーデン』の作者テニスンの誕生日は8月6日。 その劇中で歌った「オーラ・リー」が、のちに反原発ソング「ラブ・ミー・テンダー」に生まれ変わったという経緯。 高校時代の英語劇と原子力との因縁めいたものを感じざるをえません。 ところで、今回はじめて知ったのですが、RCサクセションというバンド名は「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー・サクセション」の省略形として命名したんだそうですね。 でも、むかし彼らのライブを見に行ったとき、舞台で忌野さんはバンド名の由来をこんな風に喋っていました。 「ある日、作成しようと思ったから、RCサクセション」 いままでずっと騙されていました。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね 「ハマる横浜中華街」情報はコチラ⇒ |
明日から街で会う人々から
「ヨッ!ラブミーテンダー!」
と呼ばれぬ事を祈ります。
「なにいっテンダー」と返事します。
ゲーテ座で「イノック・アーデン」ですか!
いい企画ですね。
GW初日ですので、どうなるか分かりませんが、
日程調整してみたいと思います。
情報をありがとうございました。
天気も良さそうだし、素晴らしい会になること間違いなし!
打ち上げは、中華街でね!