中華街大通りにあった湖南料理の「明揚」。7年ほど前に閉店し、現在その跡地には食べ放題の「華福飯店」が入っている。 「明揚」が食べ放題をやっていたのはいつ頃からだったのかは分からないが、このチラシを貰ったのは十数年前だったろうか。 文字の雰囲気から、これはワープロで作成したものと思われるので、もしかしたら20年くらい前かもしれない。 そして当時は食べ放題なんて言わずに、バイキングと称していたのだ。 料金は平日で2,970円、土曜・休日だと3,300円だった。これから見ると、最近の金額はずいぶんと下がったようだな。 いつのものか、これも不明なのだが、カラー印刷になり料理の写真も登場。 そして料金は平日の昼間限定で1,570円に! 懐かしい「明揚」……。 今はどうなっているのだろうかと思い、ちょっと検索してみたら、こんな店が出てきた。 京都にある「一之船入」だ。 さて、次にご覧いただくのは、老舗の「順海閣」がやっていた「順海閣新館」の食べ放題。 これまたいつのチラシなのか不明なのね… 平日の昼間に限るが、1,000円だった。 そして「食べ放題」と「バイキング」という両方の表現を使用している。 品数は20品目以上とある。 最近の食べ放題店と比較すると、昔は少なかったんだね。 こちらのチラシでは28品目以上で1,600円。 私が毎週、ここにランチを食べに来ていたのは、もう25年くらい前かな。あの頃はたしか、2階で普通のサービスランチが食べられた。 料理+ライス+ザーサイ+スープというやつだ。デザートも付いていたはずだ。 かなり広いフロアで、バイキングの客とランチを食べる会社員たちが混在していたような記憶があるけど、もしかしたら1階、2階で仕切っていたのかも。 当時はデジカメなんか無かったから、メモ帳に料理の絵と情報を記載していたのだが、それもどこかにいってしまった。 残念…… 管理が悪いんだよね… さて、香港路にあった「順海閣新館」の跡地には現在、食べ放題の「鵬天閣」が入っている。 当然、ハコはそのままだ。 この店のフロアが相当に広いのは、すでに記事にしたこともあるが、かつてここに銭湯があったからだ。 残念ながら当時の写真がないので、地図だけご覧いただこう。 あらためて地図をジックリ眺めると、いろいろなことが分かって来るよね。 でも、ここで注意しなければいけないのは、≪当時の住宅地図は正確ではない≫ということだ。手書きで店名や名前が入っているのだが、それらを書き間違えているケースが多々見られる。 ま、そんなことがあるのを踏まえたうえで、地図を眺めていこう。 「愛群」が大通りにあったんだ…。いま関帝廟通りにあるあの「愛群」だろうかね。昔は「老維新」の隣だったのかぁ。 その「老維新」から中山路に入ると、すぐ隣が「平本自転車店」。これは今でもある。 そして、「中華理髪店」、「純喫茶 香港ホテル」と続く。 その反対側には、バーが並んでいる。 戦後、朝鮮戦争からベトナム戦争の時代にかけて、バーが増えていったようだ。 問題の銭湯は香港路のど真ん中にあった。 経営者は雛形さんと書いてある。だから今でもこのビルの一画にある甘味処の名前が「ひな」なんだね。(最近は閉まったままだが…) 市場通りは、さすがにその名前のとおり、生鮮三品のほか様々な商店が軒を連ねていた。 今まで気がつかなかったのだが、「同發」の隣に「發三屋パン店」というのがあったんだね。 これって、2007年に廃業した「發三電機商会」と関係あるんだろうか…… 私はちょっと忙しくて、いろいろ語っている時間がないのだが、時間のある方は、ゆっくりと地図を眺めて現在の状況と比較してみてください。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
当時の食べ放題は現在主流のオーダー式ではなくビュッ
フェ方式だったんですよね。1人で利用するには こちらの
方が使い勝手がよかったんですよね。
トイレの紹介ありがとうございます。
今後、あの広くしたところは、オストメイト対応にしたり、色々と工夫をしていこうと思います。
ちなみ、超節水型になりましたので、割とエコです。
「順海閣新館」、最後はいろいろやっていましたね。
1000円食べ放題とか、弁当の販売とか、
中華惣菜も売っていたような…
懐かしいよねぇ…
ご指摘の通りだと思います。
それとは別に、横浜中華街の歴史を専門家にまとめてもらいたいです。
いつもありがとうございます。
トイレだけでなく、ほかにもいろいろと使う側の身になって対応してくださっているのが、よく分かります。
もしよければ、食べログに画像をアップさせていただいてもよろしいでしょうか?
行った回数はそれほど多くはなかったですけど、
ほんと、懐かしい店です。
明揚の画像はOKです。