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2週間も前のことになるが、11月2日のランチは「飲茶發發」で豚バラセット中国麹味噌(税抜500円)を食べてきた。 こちらでは牛モツ、カレー、シチュー(本日のセット)といただいてきたので、これが4種類目。 「牛バラセット・八角と山椒味」にするかどうか迷ったのだが、ま、いずれどちらも食べるのだからと思い、上に書いてある方を選んだ。 ご覧のように豚バラはド~ンと3枚! そこに従うのは青菜。 ![]() バラ肉はもちろん、箸で簡単にちぎれるほど柔らか! 中国麹味噌というものがよく分からないので何とも言えないのだが、味噌という感じではなく、なんだろう、濃厚なモツ煮のタレみたいと言ったらいいのか、とにかく美味しいのだ♪ ご飯がすすみ過ぎるほど危険な豚バラである。 ライスのお代わりはどうかと聞かれたが、もちろん丁重にお断りしておいた。食べ過ぎに注意だもんね。 それでも充分、満腹になった。いよいよ次回は牛バラ・八角と山椒味を愉しむことになる。 ということで食後は山下公園へ向かったのだが、途中でこれを思い出した。 ![]() ユーロプレイスという高層マンションのアーチ型窓を見て、かつてここに建っていたレトロで美しい建築が脳内によみがえってきたのだ。 詳しい場所は… ここ。 ローズホテルと同發の駐車場の間を進んで行き、本町通りに出る直前にあった大沢工業の建物。 ![]() この写真は20年ほど前に、本町通りからビル正面を撮影したもの。 ビルの左側側面はもっと長いのだが、道路を挟んだ隣の建物が構図の中に入ってしまい、全体像が見えない…… もっと撮影位置を考えて撮ればよかっとのだが……涙 ![]() このビルが建っていた住所は中区山下町75。鉄筋コンクリート造で地上2階、地下1階だった。 当時は大沢工業の建てたビルだろうぐらいに思っていたのだが、のちによくよく調べてみたらすごいビルであることが判明。 横浜の近代建築をいくつも建てているJ・H・モーガンが昭和2年に設計して竣工させた「ユニオンビル」なのだった。 ![]() 美しいアーチ窓。 このデザインが、跡地に建つ高層マンションの壁を飾っている♪ ![]() 玄関両サイドにあった装飾。 こういうのを何と呼ぶのかな。 狛犬の代用か。 ![]() あっても、無くてもいいような、一見無駄なものだが、でも、こういうのが建物に味を持たせているのだ。 ![]() この辺にあった古い建物には、たいてい番地と同じ番号が玄関上に彫られていた。 まさに、ここは山下町75番地。 もっと以前は居留地75番だ。 ![]() これは山下町24番地にあった「警友病院みなと寮」。 見えにくいけど、玄関上に「24」と浮き彫りにされていた。 ![]() これも20年以上前に撮影した山下町48番地にあった建物。 ![]() 表面がモルタルで塗られていたが、48と四十八という文字がうっすらと見えていた。 これを発見した時、「横浜絵入商人録」と突き合わせてみたら、明治初期にあったモリソン商会の建物とほぼ一致したので、この建物を管理している神奈川県に調査するよう連絡したのだが、「そんなものがあるはずない」なんて一笑に付されてしまった、そんな悔しい思いもよみがえってきた。 後日、これがものすごい発見だったことが分かり、今では厳重に保存されているようだがね… ユニオンビルに話をもどそう。 ![]() 半地下に明かりを取り入れるための窓。 ![]() 通用口を飾る米。 さて、このユニオンビルについては、いくつかの建築系サイトで紹介されているが、なかでも私が「すごいね」と感じているのが「週刊 横濱80’」。やはり、そこにもこのビルは登場している。 その記事によると、「当初は保険会社のユニオン・インシュランス・ソサエテイ・オブ・カントン・リミテッドの横浜支社ビルとして建てられ、終戦後にニューヨーク銀行→大沢工業と家主が変わり」ということらしい。 で、これもまた頼りになるのが「横浜市三千分の一地形図」。(横浜市のHPから閲覧できるよ) そこに掲載されている昭和7年測図の地図。 ![]() ユニオンビルと書かれているのかと思ったら… ![]() 諾威領事館となっているではないか! 諾威? いったいどこの国か? 調べてみたらノルウェーだった。 ユニオンビル全部が領事館だったのか、それともユニオン保険と一緒に入っていたのか、その辺は不明だが、少なくとも戦前の一時期ここにノルウェー領事館があったことだけは確かだね。 ところでノルウェーと横浜の関係で思い出すのは、何でしょうかね? 中華街のバー「ノルゲ」。 ノルゲ(Norge)というのは、ノルウェー語でノルウェーのことだそうだ。 そして、意外なのがビール醸造所「スプリングバレー・ブルワリー」を建てたウィリアム・コープランド。 アメリカ人だと思っていたら、実はノルウェーで生まれて、のちに米国に帰化しているんだね。 調べてみたら他にもノルウェー関係の人間や建物があるかもしれない。 さて、昭和7年に領事館が入っていたユニオンビルのその後は… まったく不明なのだが、横浜市三千分の一地形図の昭和25年測図というのが、横浜市の例のHPで閲覧できる。 ![]() これが、それだ。 たしかニューヨーク銀行になっている。 そして、その後は昭和30年代から出ている住宅地図を追っていこう。 ![]() 昭和34年。 ユニオンビルにはサザーランドハウスと名付けられている。ビルの名前も変更になったようだ。 現在「ローズホテル」が建っている場所には、亀井KKという貿易会社。 その隣、本町通り側には「日新交通」。今そこにはユーロタワーという高層マンションが建つ。 ![]() 昭和37年。 サザーランドハウス(旧ユニオンビル)はそのままだが、隣に神奈川県警親会館ができている。 日新交通は大栄交通に。 ![]() サザーランドハウスに入居しているのは、ほとんど貿易会社のようだ。 ![]() 昭和40年。 ほぼ変化は見られない。 ただ、いま同發菓子工場のところに、インターナショナル・コンチネンタル・トランスポートが入っている。 ![]() そしてサザーランドハウスの1、2階の内訳が分かるようになった。 ![]() 昭和43年。 大栄交通の跡に亀井KKが入っている。買収したようだね。 ![]() 昭和47年。 いよいよ大沢工業が登場してくる。 昭和44年から46年の間に入居したようだ。 亀井KKの本町通り側の角地にサテライトホテルが建っている。 このホテルのランチは毎日カレーライスで、しかもそれが食べ放題だった。まだ若かった私は、ここで3杯は食べていたっけ。 そして、このホテルは阪神、中日、広島の常宿になっていて、運がいいと、ちょうど選手の出発と重なったりして、良く眺めていたものだ。 ![]() 昭和53年。 現在ローズホテルがある場所に重慶飯店が現れている。 昭和48年から52年の間に出てきたようだ。 長々と書いてきたが、最後の所有者である大沢工業が2001年に倒産し、建物はすぐに解体されてしまった。 ビルを設計したモーガンは、山手のベーリックホール、111番館、聖公会や根岸競馬場観覧席などで知られているが、その彼が自分の事務所として使っていたのが、この旧ユニオンビルでもあるわけで、これまた何とももったいないことをしてしまったものだと思うよ。 ![]() |
ご飯2杯はいけそうです(笑)!デブの素(汗)
欄間ではありませんが、玄関ドア上部の明かりとり 階段脇の装飾…
見事なもんです!
建築家の遊びと、職人の技
六本木ヒルズとかには、そんな所はありません。
「粋」な建物は、残して使うべきですね!
ちょっと前まで丸の内界隈ではよく見かけましたが
今では全く見かけません。
懐かしいです。
500円で鱈腹いただけちゃうんですね。
少し太っても良いから、試しに行きたいです(笑)
ビールの1本でもつけて飯もお代わりして・・・が出来そう
ですね。
子供の頃、この界隈で見かけた半地下の窓、中に入り そ
ちら側から見てみたいと憧れて見ておりましたものです。
でも今昼は遠いからムリですねえ。
残念。
日本人の味覚で一番近いのは沖縄の豆腐ようじゃないかなと思います。
チーズに酒粕の風味を混ぜて酸味を足した、みたいな。
これだけ街の変遷が簡単に追うことが出来る世の中になったのに、肝心の場で活きてこないのが痛いですね。
管理してるのが所詮お役所だからなぁ。
そういや、「翠香園」の売店で『南乳』というお菓子があります。
見た目は普通の焼き菓子ですが、
他の菓子店では見かけないような独特な品です。
なるほど欄間ですね。
あの米という装飾は横浜でよく見かけます。
イギリスの国旗みたい・・・
ちょっと前まで、横浜には多かったですね。
三井物産のビルもそうです。
でも、どんどん消えていく…