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お墓参りに行った帰り道。軽く昼メシ前の一椀を、ということになり、久しぶりに大船駅構内の「大船軒」に立ち寄りました。 朝食からまだそれほど時間が経っていないので、ここは小振りの「鯵の切り落とし丼(250円)」にしようかと思っていたのに、そのネーミングになんとなく惹かれて、「賄い鯵ごはん(350円)」にしてしまったのが間違い。 かなりのボリュームです。ご飯も鯵も! 量は多いのですが、鯵がしっかりと賄い的な部位で… やっぱり「鯵の切り落とし丼」にしとけばよかったと軽く後悔… と、落ち込んで食べていたら、数人先に座っていた小柄なおじさんが立ち上がったのが、私の視野に入ってきました。 「ん?」 よく見ると、あの帽子おじさんでした。 トレードマークのメガネも帽子も付けていないので、周囲のお客さんは気づいていなかったかもしれません。 しかし、蕎麦を食べ終えた彼が、カウンターの下から例のメガネを取り出して後頭部で紐を結び、あの巨大な飾りの付いた帽子をかぶると、お客さん一同唖然…。 寿町や関内で彼を見慣れている私ですら、「大船軒」の中で見る宮間さんには新鮮な驚きを感じました! 以前、銀座の画廊で「ハマのメリーさん」を見たときの気分と同じです。 帽子おじさんにしろ、ハマのメリーさんにしろ、あの方たちがいつもいる場所はだいたい決まっています。 町の風景の中に溶け込んでいるのです。 それが想定外の場所で出会うと、彼らの新しい側面を見たようで、驚きとともに、ちょっと儲けたような体験に嬉しさすら感じさせられます。 おじさんが店を出て行ったあと、従業員たちがこんなことを話し合っていました。 「今じゃあ、あんなことやっているけど、若いころは働いていたんだろうねぇ…」 「何やっていたのかねぇ」 帽子おじさんの経歴は、こんなだったんですよ。 ![]() 「ハマる横浜中華街」情報はコチラ⇒ ![]() |
やはり世界には謎が多い方が幸せであると思います。
帽子おじさんは今でも時折みかけますが、スキンヘッドのマラソンおじさんはもう見かけませんね。後は加賀町警察のお巡りさんんで、関羽様のような方が、当時は善隣門の前で交通整理をしていましたっけ。。。
奥に控えている日本蕎麦に目が釘。キ~ン♪
こういう汁たっっぷりの日本蕎麦が大好きです。
2~3本どんぶりの端に手繰って汁と一緒に噛まずに飲むんです。最高です。
大船軒はお蕎麦だけかと思っていました!
これはとても美味しそうです!
鎌倉散策の前に、寄り道して、昼食としても良さそうです。
素敵な情報ありがとうございます。
メリーさんは、私がまだ中高生だった頃かなり話題に上っていました。
当時は、野毛~黄金町周辺にあった深い歓楽街もまだ色濃くあり、原色な風景でしたね。
当時を思うと、良くも悪くも今は淡色になった…と思うのです。
こんな学会もあります…
畸人研究学会
私は会員でもないし、
ましてや研究対象でもありませんが、
何かの参考にどうぞ。
「コクリコ坂から」の時代は昭和38年ですね。
東京オリンピックの1年前です。
その頃の横浜のことは、
ハマっこの先輩や仲間の話でしか知りません。
メリーさんに遭いたかったですね。
関羽のようなお巡りさんがいたんですか。
知りませんでしたが、加賀町警察にふさわしいですね。
最近は柔道選手のような警官も少なくなったのかな。
あれは蕎麦じゃないんですよ。
セットで付いてくるツユ!
蕎麦なしでワカメとネギが入っています。
なんだかんだ言っても、以前の伊勢佐木町はまだ良かったですね。
路上で商売をする靴磨き、三味線弾きのお姉さん、千葉から野菜を担いでくるおばさん…
そしてメリーさん。
いい風景でした。
彼は元気ですから、今でも、
あちこちで見ることができます。
話かけると、いろいろ答えてくれますよ。