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現在、横浜市の歴史博物館と開港資料館で「銭湯」をテーマとする企画展が開催されている。 先日、地下鉄に乗る機会があったので、少し足を延ばして歴博を訪ねてみた。 ![]() 昨年9月に閉店した戸塚区の「矢部の湯」から持ち込まれた銭湯グッズ。 アナログの体重計。いまはデジタル化されているけれど、昔の体重計はこんな形だったよね。そういえば街頭にも有料の体重計があったなぁ…… 籐の脱衣籠。この中で風呂敷を広げ、脱いだ衣類をたたんでそこに入れて縛っておく、そんな使い方だった。だから「風呂敷」っていうんだよね。 あこがれの番台。料金を徴収する受付で、男湯と女湯の両方を見渡せる場所に設置されていた。これは盗難の監視も兼ねていたので、脱衣所の方を向いていた。 最近は脱衣所が見えないフロント式が多くなっているが、脱衣所に監視カメラを置しているところもあるようだ。 ![]() 懐かしく思って眺めていたら、案内の女性に「番台に登ってみませんか」と言われ階段に足をかけたが、かなり急な傾斜でビックリ。 高齢の店主には厳しいかもね、そういうこともあってフロント式に転換していったのだろうね。 ![]() 番台の両サイドがかなり剥げ落ちている。ここにコインをバシッと叩いて置くお客さんが多かったんだろうね。時間の重みを感じさせる疵だ。 段ボールの箱は、簡易なヴァーチャルリアリティ装置。これを持ち上げ、プラスチック窓を目の前に持って来ると、昔、番台から眺めた浴場内の風景が見えてくる。 残念ながら、脱衣している情景はない。無人だ……。 ![]() 赤ちゃんの着替え台。私が通っていた銭湯には、子どもの世話をする女性がいて、この人が着替えを手伝っていた。 今では考えられないサービスがあったのだ。 ![]() 横浜市内における銭湯の移り変わり。 昭和9年(1934)には500軒近くあった銭湯も、平成29年には70軒を切ってしまったという。 ![]() 横浜市内における銭湯数の推移。 戦争が終わると銭湯の数は増えていき、昭和40年(1965)が戦後のピークとなる。 そこからしだいに減少していく。 戦争を知らない子どもたち=銭湯を知らない子どもたちとなる。 ![]() 横浜市内における入浴料金の推移。 昭和62年(1987)まで洗髪料金があったんだねぇ…… ![]() 昭和43年の横浜銭湯一覧。 今回の力作♪ すごいね♪ ![]() 銭湯で働く人びと。 ![]() 昭和43年の横浜銭湯マップ。 こうして地図化することによって、都心部、京浜工業地帯に多いことが一目瞭然。 京急、東急、相鉄、市電に沿った地域にかたまっていることも分かるよね。 ![]() 昭和23年(1948)に総理庁が実施した国民生活に関する世論調査の報告書。ここに銭湯に関する記事が出ている。 ![]() 大都市では自宅の風呂に入っている人は17%しかいなかった。大多数(約8割)の人々は銭湯通いだった。 もらい湯なんていうのもあった。隣の家の風呂に入れさせてもらうんだよね。 ![]() 大都市では約4割の人たちが「料金が高い」と感じていたようだ。 入浴料金の変遷を見れば分かるとおり、昭和21年(1946)から昭和23年(1948)にかけては、1年のなかで何回も値上げをしている。 こんな状況だったから「高い」と思っていたんだろうね。 ![]() 昔の家庭用風呂。 ![]() そんな風呂が活躍していたころの居間。 炊飯器の横にあるのは鰹節を削る箱♪ 電話機は黒色のダイヤル式♪ タンスの上には着物を着た和風の人形。たいていケースに入っていた。 ![]() 夕食のメニューは鮭の塩焼き、竹輪と厚揚げの煮物、カボチャの煮物とホウレン草のお浸し、漬物。 お父さんには日本酒が一合ついた。 ![]() 給食の比較。 右が昭和30年代。クジラの竜田揚げ、野菜、コッペパン、脱脂粉乳のミルク。 ![]() 冷蔵庫は電気式ではなく、氷で冷やすタイプ。当時は燃料として氷を使っていたのだ。そのため、今でも石油、炭と一緒に氷を売る店が多い。 各家の前には、こんなコンクリート製のゴミ箱が設置されていた。これなら猫やカラスに荒らされることもない。 ゴミ収集車の職員は手前の木製扉を引き揚げて、中に入っているゴミを掻き出して車に積み込んでいた。その車だって地方へ行けば大八車だったかもね。 ![]() さて、こちらは石川町駅の近くで見つけたコンクリート製ゴミ箱。 お隣の住人に聞いたら、戦後間もなくからずっとあるとのことだった。 ゴミを入れず大切に保存しているようだ♪ 横浜歴史博物館 フラッシュを使わなければ撮影OK♪ 横浜開港資料館 ![]() |
これは観に行かねば!
しかし、脱衣所に監視カメラって、問題じゃ
ありませんか?
外部に流出したらたいへんでしょう。
団地世代なのでコンクリゴミ箱は馴染みがありませんでしたが、古い住宅地では見かけました。
残ってるところにはまだ残ってるんですね~。
番台体験、動画による解説などもあるので、
たっぷり時間を取って行ってみてください。
最後まで解明できなかったのは、
「経営者は、なぜ、石川県出身なのか」ということでした。
親戚を頼ってきたから、ある県の人たちが多くなるのは分かるのですが……
次は開港資料館です。
路地裏を歩くときは、いつもコンクリート製のゴミ箱はないか、
気にしています。
石川町のはかなり保存状態がいいですね。
なかには違うものに転用されているのもあります。
そうそう、防火用水、これはよく残っていますよ。
懐かしいものがたくさんありました。
こんな企画をまたやってほしいです。
できれば常設でも。