横浜市某区に、ちょっと名の知れた学者が住んでいた。その方はもう何十年も前に死亡していて、その娘さんたち(独身)も先ごろお亡くなりになってしまった。 ということは、後を継ぐ人がいない、すなわち、家に残された大量の史料が宙に浮くということである。そこで、後見人になっていた方が間もなくこれらを処分することになった。 そんな情報が私の耳に入ってきたのは、処分期限の数日前のこと。聞けば貴重な史料がたくさんあるらしい。しかし、残された時間はあまりない。 これは何とかしなければと思い、私は横浜市の専門家たちに連絡をとり、資料確保の仲介をした。 処分期限の2日前、専門家や関係者などがその家に集まり、資料をみんなで調べて分類し、それぞれ相応しい施設や研究機関に送り込むことになった。 私は専門家でも何でもない古いもの好きなだけであるが、作業に加わらせてもらい、貴重な古写真や手紙類を発見した。それらは研究機関に運ばれたのは言うまでもない。 そんな中から2つだけ、許可を得ていただいてきたものがある。その一つが冒頭に掲載した国鉄の荷札だ。 水郡線常陸太田駅から東横浜駅に筍を輸送して、そのあと学者先生の自宅に届けられている。 この筍、どうやって食べたんだろうか。戦前のことだから茹でただけかな。それともタケノコご飯だったのか。一枚の古びた荷札からいろいろなことを想像してしまった。 と同時に、東横浜駅のことを思い出した。 ←素晴らしき横浜中華街にクリックしてね |
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