
大正13年8月10日の横浜貿易新報の片隅に、こんな記事が出ていた。見出しは「家庭不和から女房家出」。 なにが不和の原因か分からないが、夫婦喧嘩をした挙句、新潟の家を飛びだして横浜にやって来たようだ。そこで夫が捜索願を提出して、伊勢佐木署員が彼女を取り押さえ夫に引き渡したという。 大正13年、こんなことが記事になっていたんだね。それにしても取り押さえて引き渡す、なんて…… その記事の横には「チブス患者が逃げ出す」なんていう事件も報道されている。 五行広告も気になる。 芸妓家 権利造作付居抜のまま格安売りたし 場所は本牧町矢。矢というのは字名である。隣が待合だというから、この辺に花街があったんだろうね。 昔の新聞はこんなのが出ているから目移りして、本来の記事検索ができないのが困る。 ![]() |
も気になります。
佐木署員がわざわざ取り押さえるってどんな
事情でしょう?
民事不介入とか言われそうなところ
ですが…
家制度の下で「人」は財産でした。なので家長の許しなく出奔するのはご法度。警察も「人権尊重」を気にしないので頑張れます。戸籍の旧法を読むと面白いです。合法の養子縁組はいろいろなことに利用されました。必然、縁故を頼るしかない訳です。
新聞の広告も素直に読むと「?」というような文章は、暗号で、スパイもよく利用したそうです。
伝染病は、専用病棟を建てて、同じ原因菌なら患者間の感染はないからと隔離策だけ厳重にしました。症状の程度に合わせて同室にしましたが、1人でも急変して死ぬとパニックになり脱走者が出ました。
面白い固定給…何でしょうかね?
販売しているのは防熱塗料ホワイト、エンシア、まで読めました。
防熱塗料ホワイト、エンシアというのは麻薬とかだったりして。
他にも東京や地方から横浜に出てきて、
犯罪を犯した者、家出した者などが伊勢佐木署員に捕まっていました。
当時の伊勢佐木署は大忙しだったようです。
戦前の家制度では仕方なかったんですよね。
記事には無断家出と書いてありますが、
断って家出する人はいないでしょうに。
家出は黙ってするものですからね。
この人は姉が嫁いだ先の南吉田町の木挽き職人の家に潜伏していたところを警察官が探しだしたあと、
新潟に送り帰されましたが、
その後どうなったんでしょうかねぇ。