鄭容順の直言!

日頃気が付いたこと徒然に。

5月3日、後半の連休である。

2008-05-03 19:00:08 | 直言!
仕事の原稿を2本仕上げるのがあるが現場はしばらくない。
今日は親の墓参りで桜井市にでかけた。
朝から天理市内のスーパーで仏花を6つとお供え物、缶ビールやお茶、するめに母親の好きだった粟おこしのお菓子を買った。また一路、桜井市朝倉慈恩寺に向かった。お墓の前には車が何台か停まっている。
いつも停めるところは白い大きい車が停まっていた。
墓のある坂道を登ると夫は言う。
「京都○○が来ている。あれそうやは」と言う。
私は「見間違いと違う」と言ったら夫は「いや。そうや」というと向こうで私の従姉妹が頭を下げている。
やっぱり京都の父の弟、叔父家族だった。近所に住む娘家族も来ていた。まさかこんなところで久しぶりに会うとは-----。
叔父家族は私の祖父母・父母の墓参りを済ませて次の既に亡くなっている父のすぐ下の弟のお墓に行くところだった。
娘家族が祖父母のお墓の草むしりをしてくれたという。
私たちは上の祖父母のお墓に行って線香を供えていると下から叔母の呼ぶ声が聞こえる。急いで下に降りていった。その前に1番上にある祖父母・父母の墓の上からなだらかな三輪山を撮った。
下に降りて叔父のお墓に行ってお花を供えて叔父たちの家族が昼ごはんを一緒に行こうということで奈良方面に向かって国道24号線を走った。
天理市の所で車の入るうどんやさんに入ってうどんを食べた。
たまたまデジカメを私はもっていた。
叔父は74歳、年末病気で手術して入院したという。
叔父も若いときのハンサムな顔はもうなくなって老けていた。老けてくると祖母に似ている。
あれこれ話しをしてまた本家と分家のことをきちんと私は叔父に聞いた。
鄭の家は黄家、姜家、鄭家の中で晋州の故郷では総まとめをしていたのが鄭の家だったといい鄭の本家の向こうに結婚していった分家が周りに散らばって住んでいたと言う。
そして韓日国交正常化して数年たったときに叔父が韓国に行くときに大阪の一族の祖父の所で何らかのことをして韓国に行ったという。何故か今日はその理由を聞かなかった。
たぶん私の憶測である。叔父たちの兄である私の父親は双方の民族団体に行かなかったので韓国行きも反対した。それで父親の何がしのものがないと韓国に入れなかったので大阪の一族の中に頼んだものだとう。
叔父の父親、私から見ると祖父どうしが兄弟だった。兄弟はよく喧嘩をする。祖父も勝気な人だったのだろう。弟の方がどんどん財閥になっていく。いろんな思いがあったのだろう。私の父親は祖父の弟の子どもとは従兄弟になる。従兄弟同士になると疎遠になっていく。経済的にあまりにも分家が財をなして本家とは差がついた。韓国では分家が本家を助けていく風習はあるが日本での生活、経済構築は苦労してついたもの。そして運もあるのだろう。もうそんな風習は日本では通用しないと祖父は悟ったのだろう。
祖父は亡くなる前に父親に、あまりにも差がついたので父親にはもう付き合いしないほうがいいと言って亡くなったという。
しかし地縁、血縁はどこかでつながっているのだろう。
分家の子息と仕事の中で私は会うことになった。これも先人たちが会わしてくれているように私は思える。
もう1度、叔父に確認した。
うちが本家の家で鄭一族の総まとめの家だったという。
なるほど。祖父が生前、病院のベッドで父親に話したと言う。
韓国で暮らしていたときは「私が手を叩くと300人ぐらいの人がすぐ集まった」と話していたと言う。過去の我が家が繁栄していた年月を祖父は覚えていたのだろう。心の底では日本人がした日本植民地時代を恨んでいたのだろう。
時に祖父が発した言葉を子ども心に記憶している。
日本人のこと「倭奴(ウエノム)」と言っていたことを-----。
今日は叔父に会う何かのめぐりあわせになったのだろう。たまたまブログにいれる写真を撮ろうとデジカメを鞄の中にいれていた。
天理市のうどん屋さんで写真を撮ってまた外にでて叔父たちの家族と一緒に写真を撮った。これが最後かもしれないのか。いやまだまだ長生きしてくれればいい。
それでもデジカメを持ってきたのは虫がしらせたのだろうか。私は仕事以外にはけっして持ち歩かないのになぜか今日はデジカメを鞄に入れている。
不思議なことがあるものだ。
叔父たちは国道24号線のバイパスから京都に出て行く。
私は大和郡山市から奈良市内に入って自宅に戻るが私は近鉄奈良駅で降ろしてもらった。宅急便の送るものがあったで降ろしてもらった。
そして行きつけの喫茶店に行くが雑誌記者時代にお世話になった人たちの多くが今も奈良県のユネスコで活動している。そのグループの一行と隣り合わせに席をした。
久しぶりにあった。
思わず雑誌記者時代の編集局長の思い出話がでた。
なんか今日は不思議な日だった
私は心してもっと精進しなければならないと教えているのだろうか。
写真は祖父母・父母が眠る墓地の上から三輪山を撮影(5月3日、12時ごろ撮影)

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