6月15日(土)より公開されるインド映画『SANJU/サンジュ』。公式サイトはこちら、これまでの拙ブログでのご紹介はこちらとかこちらとかこちらですが、この映画の主人公はインドの人気男優サンジャイ・ダット。でも、この映画ではサンジャイ・ダット以外にも、2人の登場人物が強い印象を残します。その1人がサンジャイ・ダットの父、スニール・ダットです。演じているのは、名脇役として活躍し、時には主役、悪役もこなす男優パレーシュ・ラーワルで、あとで説明しますが、これはもうドンピシャのキャスティングと言わざるを得ません。パレーシュ・ラーワルはさておき、スニール・ダットを全然知らない方も日本の観客には多いと思うので、少しインド映画史をさかのぼってスニール・ダットがどういう男優だったのかもお伝えしながら、『SANJU/サンジュ』の中のスニール・ダットをご紹介しようと思います。
Courtesy:National Film Archive of India (NFAI)
上の写真は、出世作となった『Mother India(インドの母)』(1957)の中のスニール・ダットです。1929年6月9日にインド西方の現パンジャーブ州に生まれたスニール・ダットは、5歳の時に父を亡くし、その後1947年のインド独立時の混乱等で何度か住む場所を変えたりしながら、最終的にはラクナウに落ち着き、学業を終えます。続いてムンバイのカレッジに進み、赤いバスで有名な運輸会社ベストでの勤務を経て、ラジオの仕事に就きます。ラクナウにいたスニール・ダットがきれいなウルドゥ語を話すことが評価されたためで、やがて当時の人気ラジオ局「ラジオ・セイロン」(Radio Ceylonという局名ながら、当時南アジアで一番の人気局として、インドの古典音楽を流したり、ヒンディー語映画曲のベストテン番組を放送したりしていました)で働くようになりました。そこからヒンディー語映画界に入ったスニール・ダットは、1955年の『Railway Platform(鉄道のホーム)』で俳優としてデビューします。そんな彼の出世作となったのが、マハブーブ・カーン監督の『Mother India』でした。
Courtesy:National Film Archive of India (NFAI)
結婚時の借金で金貸しに搾取され続けた農民の夫(ラージ・クマール)が片腕を失って姿を消し、残された農婦ラーダー(ナルギス/上写真右)が2人の息子を支えに生き抜こうとする話で、スニール・ダットは金貸しに反抗し、ついには盗賊に身を投じる弟ビルジュー(上写真左)を演じました。孝行息子の兄を演じたのがラージェーンドル・クマール(上写真真ん中)で、後年サンジャイ・ダットと同時期にデビューしたラージェーンドル・クマールの息子クマール・ゴゥラヴは、サンジャイの妹、つまりスニール・ダットの長女ナムルターと結婚することになるのですが、そのあたりの因縁話はまたのちほど。『Mother India』では最後、金貸しの娘をかどわかそうとしたビルジューは、諭す母ラーダーの言うことをきかず、娘と共に馬で逃げようとしますが、ラーダーは息子を撃ち殺します。この強烈な「インドの母」像が『Mother India』を大ヒットに導き、現在に到るまで、「インド映画百選」というような企画があると必ずランクインする作品として人々に愛され続けるもととなります。
そういった大作に、すでに名声を確立したナルギスと共に出られただけで、新人だったスニール・ダットにとっては幸運だったのですが、撮影中に2人を結びつける大きな事件が起きました。火事のシーンでナルギスが火の中に取り残されてしまい、それをスニール・ダットが助けて大やけどを負うのです。上の写真は、先日コメントを寄せて下さった方が言及して下さったサンジャイ・ダットの妹2人による著書「MR. AND MRS. DUTT Memories of our Parents」(Roli Books, 2007)のカヴァー裏側なのですが、やけどを負ったスニール・ダットをナルギスが看護する様子が記録されています。インド映画ファンの方なら、この話を読んですぐピン!と来たと思いますが、そうです、『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』(2007)の中で、オーム(シャー・ルク・カーン)とシャンティ(ディーピカー・パードゥコーン)が演じていたあのシーンですね。あそこでは、オームの友人パップーが「顔をやけどしてたら、ホラー俳優に転向だった」と言うシーンがありましたが、スニール・ダットは顔にもやけどを負い、ナルギスが必死で看病したと言われています。
こうして2人は急接近、ナルギスはイスラーム教徒、スニール・ダットはヒンドゥー教徒という宗教の違いとか、その他いろいろ障害があったものの(『SANJU/サンジュ』の中でも、ナルギスのコワいファンから呼び出されたエピソードが紹介されています)、火事事件のあったほぼ1年後の1958年3月11日に2人は結婚します。そして、1959年7月29日にサンジャイが、1962年1月5日には前述の長女ナムルターが、さらに1966年8月28日には、父の死後跡を継いで国会議員となる次女プリヤーが誕生します。結婚後ナルギスは女優業をほとんどストップし、家庭に入りますが、反対にスニール・ダットはどんどん実力を発揮、多くの作品に出演します。中でも注目されたのが、『Sadhna(サードナー)』(1958)、『Sujata(スジャーター)』(1959/下写真。右は「不可触民」の娘役のヌータン)などのヒロインを輝かせる作品や、フィルムフェア誌賞の主演男優賞を受賞したワヒーダー・ラフマーンとの共演作『Mujhe Jeene Do(私を生きさせて)』(1963)、『Khandan(家柄)』(1965)などの作品でした。
Courtesy:National Film Archive of India (NFAI)
やがて、スニール・ダットは監督業にも進出します。1964年の初監督作品『Yaadein(思い出の数々)』は登場人物がスニール・ダット演じる主人公だけ、という意欲的な作品で、ナルギスとまだ幼かったサンジャイがシルエットでは登場しますが、まさにワン・マン映画として、高い評価を受けました。その後、自身とワヒーダー・ラフマーンの共演に加えて、アミターブ・バッチャン、ヴィノード・カンナー、ラーキーといったこれからのスターをキャスティングした監督作『Reshma Aur Shera(レーシュマーとシェーラー)』(1971)が大コケし、プロデューサーでもあったスニール・ダットは痛手を受けます。ですが、息子サンジャイがデビューを果たす時には『Rocky(ロッキー)』(1981)を自ら監督、サンジャイの能力を補って映画界に送り出します。この時の親子の姿は、『SANJU/サンジュ』の中で印象的に描かれています。『Rocky』の公開直前に最愛の妻ナルギスをガンで失い、サンジュの薬漬けに悩まされ...と苦労の多かったスニール・ダットですが、彼にはその後もう一つ、政治家としての道が開けていきます。
Photo by R.T. Chawla
上の写真は、1990年代後半と思われますが、何かの行事の時に主賓として招かれたスニール・ダット(中)とサンジャイ(右)、そして1980年代のトップ男優ヴィノード・カンナー(左)です。1982年、スニール・ダットはマハーラーシュトラ州からSheriff of Mumbaiに任命されます。これは名誉職のようなもので、1年の任期で卓越した市民が任命されることになっており、スニール・ダットの2年前には、彼よりも一世代上のスター、ディリープ・クマールが任命されています。その任期が終わった後、スニール・ダットは国会議員選挙に出て見事当選、1984~1996年、1999~2005年と国会議員として熱心に活動しました。2005年5月25日の心臓発作による急死でこの活動は途絶えますが、その後娘のプリヤー・ダットが議席を継承し、2014年までの二期、議員を務めました。
(撮影者不明。お心当たりの方は、コメント欄を通じてご連絡下さい)
(撮影:中島上人~下のコメント欄をご参照下さい)
実は、国会議員になったのは妻のナルギスの方が先で、1980年に選ばれています。それ以前から社会活動をいろいろとしていたナルギスですが、1981年に亡くなってのちそれらはスニール・ダットに引き継がれ、やがて彼も国会へと進出したのでした。中でもスニール・ダットは平和運動に熱心で、こちらのコメントでお知らせ下さった方が書いておられる通り、1988年夏には来日して、平和行進に加わっています。上の写真は、実は日印協会関係のどなたかからずっと以前にいただいたもので、確か来日した時に機内で撮った、とうかがった憶えがあります(きちんと記録を写真の裏に書いておかなかったため、下さった方のお名前も覚えていません。この機会にアップして、お申し出がないか問いかけてみることにしました)。このほかにもスニール・ダットは、1984年のインディラー・ガーンディー首相がシク教徒のボディガードによって暗殺された事件に関し、それに先立つシク教総本山ゴールデン・テンプルへの政府軍攻撃事件と、首相暗殺事件後のシク教徒への報復による故郷パンジャーブ州の荒廃を憂えて、町や村を巡る行進を提案したことがありました。自身の属する国民会議派からは「スタンドプレーだ」と白い目で見られたようですが、人々の訴えを聞き、共に涙を流した1987年のこの行進も、社会活動家としてのスニール・ダットを育てたようです。
©Copyright RH Films LLP, 2018
息子サンジャイがデビューしてからのスニール・ダットは、『SANJAY/サンジュ』の中で詳しく描かれています。自身も国会議員であるパレーシュ・ラーワル(所属はBJP=インド人民党、2014年当選)は、政治家としてのスニール・ダットも見事に表現し、まさに適役。好もしく、また血の通った父親像を創り出しています。というわけで、『SANJAY/サンジュ』をご覧になる時は、じっくりとパレーシュ・ラーワルの演技を楽しんでみて下さい。最後に予告篇を付けておきます。
「SANJU/サンジュ」予告編
こちらに掲載されているスニール・ダットの機内写真の詳細が明らかになりました!
1988年5月6日、スニール・ダットは、夏に予定していた長崎・広島平和行進の下見のために来日。翌5月7日、東京から長崎に行く日本エアシステムFLT361便の機内で撮影された写真です。撮影者は中島上人です。
スニール・ダットの長崎・広島平和行進のすべてのお膳立てをしたのは、現:日本山妙法寺ムンバイ道場の森田捷泉上人と、現:法華仏教国際交流協会の石井英雄上人、澁谷幸道上人、安藤正道上人、中島大成上人他の皆さんです。
詳しくはご無沙汰メールしますね。
私はここにお名前の挙がった方はどなたも存じ上げないので、撮影者の方からはもちろん、ここにお名前の出ている関係者の方からもいただいた写真ではないようです。
というわけで、私が持っているべき写真ではないと思うので、廃棄しておきます。
いろいろお調べ下さってすみませんでした。
とりあえず、ここには撮影者のお名前を入れておきますね。