昨日より、映画『シティ・オブ・ジョイ』の上映が始まりました。昨日は前日とは違っていいお天気になったので、お出かけ先から夜の上映に向かわれた方も多かったのでは、と思います。映画の公式ツイッターには、ご覧になった方の熱いコメントが次々とアップされています。私はイベントも覗いてみたいので、13日(日)の夕方のチケットを買いました....って今、ずっとツイートを辿っていったら、「登壇予定でしたこがけんさんが新型コロナのPCR検査で陽性と診断されたため、誠に残念ながら当日のイベントは中止とさせていただきます」というお知らせが。OMG!! 相方の小田さんに、「なに、やらかしとんじゃあぁぁぁぁぁ!」とツッコんでいただきたいところですが、今の状況では、いつ、誰が感染してもおかしくないこの国なので、仕方がないですね。療養に努めて、早くよくなって下さい。オミクロン株は喉をやられると聞くので、美声のこがさん、くれぐれもお大事に。
ということで、気を取り直して今日はカルカッタのお話を。現在は名前を「コルカタ」と変えているこの街は、西ベンガル州の州都で、バングラデシュも含むベンガル地方の中心地として、イギリス領時代はインドの首都にもなっていた大都会です。名前がコルカタに変わったのは2001年の1月で、1990年代半ばから、イギリス領時代の表記を改めよう、という動きが各地で起こり、「ボンベイ⇒ムンバイ」「マドラス⇒チェンナイ」などと同じく、「カルカッタ」も地元での発音をローマナイズ表記に反映させた「Kolkata/コルカタ」になったのでした。でも、この映画が作られたのは1992年なので、まだ「歓喜の町”カルカッタ”」だったのですね。
CITY OF JOY © 1992 - LIGHTMOTIVE LIMITED - PRICEL.
私はコルカタは1976年12月に初めて行って以降、6、7回しか行っていないので、あまり詳しくありません。ざっと街の地形を言うと、南北に延びた街の中心をガンジス川の支流(というか本流の一つと言った方がいいかも)フーグリ川が流れ、途中から西へちょっと折れて、その後また南に向かい、ベンガル湾へと注ぎます。その折れ曲がるちょっと手前の一帯が大きな緑地になっていて、マイダーンと呼ばれる公園や、ヴィクトリア・メモリアルという英領時代の女王の記念堂などがあったりします。そこから北に行くと、フーグリ川にかかるハウラー橋が目に入ります。映画の中でも登場していますが、下写真のハウラー橋は、コルカタのアイコンとしてよくいろんな映画に登場します。
CITY OF JOY © 1992 - LIGHTMOTIVE LIMITED - PRICEL.
『シティ・オブ・ジョイ』の導入部は、アメリカの病院の医師マックス(パトリック・スウェイジ)が、手術を担当していた幼い女の子を助けられず、自己嫌悪やら父に対する反発やら、いろいろ混ざり合った感情を抱いて病院から飛び出す、というシーンです。そしてすぐにオープニング・タイトルが始まるのですが、そこではもう1人の主人公であるハザリ・パル(ハザーリー・パール)が、ビハール州の田舎からコルカタに出稼ぎに行こうとして村を牛車で出発するシーンが登場します。年老いた父母に見送られ、妻に娘、まだ幼い息子2人を連れて牛車からバスに乗り換えたハザリは、次のシーンではハウラー駅で汽車から降りて来ます。同じ汽車に誰か偉い人が乗っていたらしく、ホームに入る汽車は楽隊のかなでる愛国歌に迎えられます。「♪サーレー・ジャハーン・セー・アッチャー、ヒンドゥスターン・ハマーラー・ハマーラー(世界のどこよりも素晴らしい、我らがインドは)♪」という、インド人なら誰でも知っている曲で、今回見て初めて気づきました。
CITY OF JOY © 1992 - LIGHTMOTIVE LIMITED - PRICEL.
しかし、その素晴らしいはずのインドのコルカタでは、ハザリも、それから少し後に旅行者として姿を見せるマックスも、初っぱなから手ひどい目に遭います。それは映画を見てびっくりしていただくことにして、この冒頭部分だけでもコルカタを象徴する物が、ハウラー橋以外にもいろいろ出て来ます。一つ目は路面電車です。トラムと呼ばれる路面電車は、以前はムンバイやデリーにも走っていたそうですが、交通量が増えるにつれて廃止され、現役で走っている大都市のトラムは今やコルカタだけ。ですので「ここはコルカタだよ」と示したい時には、ハウラー橋と共によく登場します。あとはボディを黄色一色に塗ったタクシーと、それからこの映画の陰の主役とも言える人力車。コルカタの人力車は、他の場所のサイクル・リキシャ(自転車に乗った人がペダルをこいで引くスタイルの人力車)と違って本当に人が引くので、相当な重労働です。一時、廃止論争もあったのですが、今でも存続しているようです。劇中では、雨期の苦労&余得(?)も描かれていて興味深いです。
CITY OF JOY © 1992 - LIGHTMOTIVE LIMITED - PRICEL.
あと、ハザリのように、ベンガル地方以外からの出稼ぎ者が多いのも、大都会であるコルカタの特徴です。ハザリの出身地ビハール州は、以前はコルカタのある西ベンガル州と長い州境線で接していたのですが、現在は2000年にビハール州が分割されて南部はジャールカンド州となったため、州境線は短くなりました。州が2つに分かれても経済状態が急に上向くわけではなく、州別の1人当たりのGDPを見ると、ビハール州は最低で、ジャールカンド州は下から3番目となります。従って30年前と変わらず、現在もこれらの地域からコルカタへの出稼ぎ者は多いわけですが、彼らの利点は母語がヒンディー語であること。コルカタのある西ベンガル州の言語はベンガル語で、ヒンディー語とは語彙や発音、文法がかなり違い、文字も異なります。ですが、大都会のコルカタにはインド中から人がやってくるので、英語に次いでヒンディー語は外来者とのコミュニケーション言語となり、そのためビハール州出身者はタクシーの運転手等の職を得ることが可能になります。ハザリの場合はそれがリキシャ引きとなったわけですが、農業労働者であったためか足腰がしっかりしていて、すぐにリキシャ引きとして走れるようになった、という設定のようです。オーム・プリー、大変な役だったと思いますが、危なげなくリキシャを引っ張っていて、あらためてすごい俳優だ、と感心しました。
CITY OF JOY © 1992 - LIGHTMOTIVE LIMITED - PRICEL.
俳優のことについてまた触れると、このブログを書いていろいろ調べているうちに、ハザリの父親役を演じたのがボリウッド映画界の名脇役イフテカールだということがわかりました。冒頭で登場したほか、ラストの結婚式シーンでも顔を出しています。上写真の右から3人目、ターバンを被っているのがイフテカ-ルです。IMDbを見ると出演作として342本が上がっていて、1920-1995の生涯のうち、17歳で映画界入りしたようなので約60年間に亘る役者人生とは言え、すごい数の出演作品です。1970・80年代の作品では、警部やギャング団のボスとしてしょっちゅう出演していて、アミターブ・バッチャン主演作を見るとこの人が顔を出す、という感じでした。その頃の顔をWikiの写真でどうぞ。
なぜ彼がキャスティングされたのか不思議ですが、ラクナウの芸大卒なので、きれいな英語をしゃべる人だったためかも知れません。そんな、30年前の”あの人”を見つける楽しみもあり、さらには30年前のコルカタの姿を見つける楽しみもあって、インド好き、インド映画好きには何度も見直したくなる作品です。インドに行けない分、『シティ・オブ・ジョイ』で旅気分を味わってみて下さいね。公式サイトはこちらです。予告編もどうぞ。そうそう、この作品と同じく、コルカタを外部の人の目から見た描き方で描いてある作品には、『女神は二度微笑む』(2012)、『バルフィ!人生に唄えば』(2012)などがあります。見比べてみるのも一興かも知れません。
シティ・オブ・ジョイ 【4Kデジタル・リマスター版】
ついつい出しゃばってしまってごめんなさい。
これからも、インド&インド関連映画のご紹介を楽しみにしています。
ご丁寧に解説いただきまして、
ありがとうございました。
ブログでのご紹介も感謝!です(ちょっとキングレコードの方のお手伝いをしたので、気分はすっかり宣伝パーソン)。
前にお書きになった『グレート・インディアン・キッチン』のご紹介なども拝読しています。
『シティ・オブ・ジョイ』の「インドではありえない」というご指摘2点、確かにそうなんですが、ハザリが娘の結婚話をまとめようと工場主側と面談するシーンでは、「お宅は私の宝である働き者の娘を手に入れるんだぞ」というようなことをハザリが言いますよね。
あそこは新鮮な驚きをもたらしてくれ、一連の活動を通して彼の意識改革がなされたのね、とちょっと感動しました。
農民と工場主という貧富の差はあっても、カーストとしてはジャーティは違えどヴァルナは同等だったかも知れず、またヴァルナが違っても男の方が高位なら結婚もあり得るのでは、とも思います。
あと、インド人たちの農民やスラム住民が英語をしゃべるのはあり得ない、ともお書きになっていましたが、あれは英語映画として公開するためのセリフの便宜上のことなので、リアリズムとは別の処置と考えるべきですよね。
本当は違う言語を喋っているのだよ、ということを示すために、時々「バーバー(父さん)」とか「バーブー(旦那)」等々のヒンディー語の単語がインド人のセリフには入りますし、そういうのを耳にすることによって、英語圏の観客も彼らが英語の話者だとは誤解しないのでは、と思います。
しかし、言語をリアリズムで再現するとなると、ヒンディー語以外にベンガル語も入るし、かなり大変なことになりそうですね(笑)。
せっかく「良い作品である」とほめて下さったのに、文句を言ってスミマセン...。
連れがいたためお声がけしませんでした。
(失礼いたしました。)
原版を観ていないので違いは判りませんが、
ハウラー橋もスラムもカルカッタの街は綺麗でした。