本日はインド映画『ヴィクラムとヴェーダ』を見てきました。会場は六本木ヒルズのTOHOシネマズではなく、道を挟んで北側の渋谷寄りにあるEXシアター六本木。大きなホールなのですが、仮設に限りなく近い仕様の設備なので、イスも背もたれが低く、2時間半の上映ではちとつらいものがありました。とはいえガラ空きなので、楽な姿勢で見ることができたため、途中でついウトウトしてしまったりしたのですが。8月に1度見ているので、大好きなヴィジャイ・セードゥパティ主演作だというのに、途中で少々だれてしまいました。
『ヴィクラムとヴェーダ』
2017/インド/タミル語/141分/原題:Vikram Vedha
監督:プシュカル&ガーヤトリ
主演:R・マーダヴァン、ヴィジャイ・セードゥパティ
警官ヴィクラム(R・マーダヴァン)と有名なギャングのヴェーダ(ヴィジャイ・セードゥパティ)との、奇妙な友情というか心の通わせ合いを描く作品です。下敷きになっているのが、屍鬼ヴェーターラがトリヴィクラマセーナ王の肩に取り憑き、25のお話を聞かせたという「屍鬼25話」で、映画の冒頭それがアニメになって示されるのですが、字幕では「王」としか示されず、それがヴィクラムを指し、また、木の上から彼の肩に飛び乗る小柄な鬼がヴェーダを指している、というのがわかりにくいため、「謎のアニメ」と思われたのではないでしょうか。途中、2人が何度か出会うシーンで「〇年前」と表示され、ヴェーダが過去のいきさつを語っていくのが、この屍鬼の物語にあたるものです。この物語によって、ヴェーダは自分の過去をヴィクラムに知ってもらうと共に、ヴィクラムが今行っている警官としての行動を見直させるのですが、それにより徐々に真実が見えてくる、という、複雑で面白い構造になっています。
最初に見た時は英語字幕だけだったこともあって、多くの登場人物とこの複雑な構造がいまひとつよく分からなかったのですが、今回日本語字幕(※)で見てだいぶ整理されました。とはいえ、人物を全部書き出してみて、それぞれがどの時点でどのように死んだのか、というタグでも付けていかないと、全貌がスッキリと見えてこない感じです。それにしても、築かれる死体の山のすごさには、二度目の今回も少々うんざりしました。最後の銃撃戦のシーンで、ヴェーダが見せるひょうきんさがヴィジャイ・セードゥパティの真骨頂なので、ああいうキャラを前面に出した作品が日本お披露目になればよかったのに、と少々残念です。のっそりした牛みたいなイメージの俳優なのに、なぜか観客の心を捕まえ、「Makkal Selvan/マッカル・セルヴァン/人民の俳優」と呼ばれているヴィジャイ・セードゥパティ。何か素晴らしい作品で、日本のスクリーンに正式お目見えしてくれることを待っています。
これで私のTIFF2017は一応終了です。見られなかった作品がずいぶん残ってしまいましたが、このうちの何本かのアジア映画は公開まで行くのでは、と思いますので、それを楽しみに待っていましょう。
※今回の字幕、固有名詞表記の間違いも多かったです。覚えているものを列挙しておきます。(Mさん、聞いて下さればよかったのに....)
プラバカ → プラバーカル
ピリヤ → プリヤ
セカール → セーカル
パロッタ2枚 → パラータ2枚
MKBナガー → MKBナガル(”ナガル”は”町”の意味)