一つとして同じ人生がないように、一つとして同じお産はないのだと思う。
出産に対するイメージも、痛みの感じ方も、お産の進み方も、人それぞれ。
だからこそ、「私の場合」を書いておこうと思います。
今日は出産を決意するまでのことを書きます。
私は子供時代から20代前半にかけて、2つの大きな痛みを抱えていました。
一つは物心ついたころから始まった原因不明の手足の痛み。
病院で検査を受けても原因は分からず、成長痛と言われていたけれど、
この痛みは大人になっても一向に治らなかった。
骨の髄が腐っていくような神経に響く痛みで、マッサージしたり温めたりすると落ち着くのだけど、
しばらくするとまた痛み出す。
あまりの痛さに子供の頃、夜、布団の上で何度泣いたことか。
もう一つは生理痛。
お腹の痛みが波のように定期的に押し寄せてきて、ひどい時は立っていることが出来なかった。
夜は布団の上に座り込んで身体を揺らしながら痛みに耐えた。
多分この2つの痛みは、痛みに対する恐怖を私に植え付けたのだと思います。
痛い思いをして出産をするのは絶対に嫌だった。
女性だけが「鼻からすいかが出るくらいの痛み」に耐えなきゃいけないのは不公平だと思っていた。
だから(それだけではないけど)この歳になるまで子供を作らなかった。
ところが、2年前のある日、突然はっきりと生理痛が無くなった。
手足の痛みもいつの間にかほとんど感じなくなっていた。
私は痛みの呪縛から解放された。
そうして私は子供を産みたいと思った。
本当のところ、その頃の私の身に降りかかった(あるいは私が巻き起こした)事態は、
痛みの感覚を無くすに充分なくらいひどいところまできていて・・・。
だけどそれでも、今、私は信じる。
全ての激流はこの子に出逢うために、この子と共に生きるために流れていた、と。