誰だかわからない第三者によってつけられたタイトル「更級日記」。
一方で、本人がつけた!とする説もあって(^o^;)
なに、それ(^o^;)
そりゃ~、どっちかだよね(^o^;)
結局のところ、「よくわからない」以上のことがないので、なんとも(^^ゞ
「わからない」まま、千年、「更級日記」と呼ばれ続けたことになる。
個人的には、本人がつけた、という方が得心がいく。
もはやこの名称が「自然」に感じてしまうということもあるだろうけど、それ以上に、うまいタイトルなので、正体不明の「第三者」がつけたというよりは、作者がタイトルに狙い、なんらかの意図を示した、とした方が、僕の個人的な読みには適う気がするのである(*‘ω‘ *)
個人的希望ですが(^^ゞ
「更級日記」の「更級」の意味がやはり気になるところで。
作品の外に証拠を求めようとすると、これが絶望的に手がかりがない様子なので、なにか新しい発見などが出てこない限り、話は進展しようがない。
作品そのものに「更級」のイメージを探ることが正攻法だと思う。
これについてはお決まりの、詳しい説明というのがある。
菅原孝標女の夫、橘俊通が信濃守として赴いた任地にまつわるとか。
「姨捨の〜」の歌にまつわるとか。
いずれにしても「信濃」の地がその由来であると。
「更級」という名が明確に現実の場所、土地を示してしまうので、その説は揺るぎないように思えてしまうのだが。。。
僕には、これが全然納得できないのである。
理由はいくらでも挙げられるのだが、いかに「更級」という土地に関わりが深くとも、菅原孝標女本人はそこには行っていない。それどころか、文中に「更級」の地についての描写がない。
「あづま」から都に向けての旅の途中に通り過ぎた場所、滞在した場所についての描写などは、正確な場所を比定できない一方で、イメージ豊かに描写していたりする。作品の趣旨とはだいぶ違うのだろうけど、当時の紀行文として読むことにも堪えうる。
都での暮らしについても、その空気感、雰囲気を十分に伝えているし、住んでいた家、火事のあとに移り住んだ家などについても、印象の違いはわかりやすい。
出かけた先、お詣りの様子などもそう。
宮中でのお仕事の話もそう。
その場、そのシーンでの描写は冴えている。
もし、タイトルが土地や場所に依拠しているならば、少なくとも本文中に、それに相応しい「更級」の描写はあって然るべきであるところなのだが、それがない。
「姥捨の〜」の歌をもって、彼女の諦観が云々というのは、全編をほとんど無視した導き方で、解釈としてはいささか乱暴なキライがある。
人生に対する彼女の諦観というものを文章に書き起こすことが「更級日記」の目的なのだとしたら、他にいくらでも書きようがあっただろうし、この一首が詠まれた背景を説明するだけでことは足りてしまう。。。とても、「更級日記」が書かれる必然性に足りている、とは言えない。
「更級」を地名ではなく、字義で解釈してみる。
「更」と「級」。
「更」の字義で普通に思い浮かぶのは「更新」のイメージ。「かえる」とか、「あらたまる」とか。「更衣」(ころもがえ)の「更」の意味。
それと「夜更け」(よふけ)など、なにかが「深まる」感じ。
そして、「さらに」、その先、そのうえ、その続きへと、続いていくイメージがある。
「級」は、「階級」とか「等級」とか。「レベル」、「クラス」を思わせる。
それとは別に、「級」だけで「風」を思い起こさせるところもある。伊勢神宮内宮の別宮、「風日祈宮」に祀られる「級長津彦命」(シナツヒコノミコト)の「級」は「風」の意。
とりあえず、ざっと字義を見て、地名から引き剥がしたところで、「更級」を読み直せば、どんなイメージが見えてくるか?
一方で、本人がつけた!とする説もあって(^o^;)
なに、それ(^o^;)
そりゃ~、どっちかだよね(^o^;)
結局のところ、「よくわからない」以上のことがないので、なんとも(^^ゞ
「わからない」まま、千年、「更級日記」と呼ばれ続けたことになる。
個人的には、本人がつけた、という方が得心がいく。
もはやこの名称が「自然」に感じてしまうということもあるだろうけど、それ以上に、うまいタイトルなので、正体不明の「第三者」がつけたというよりは、作者がタイトルに狙い、なんらかの意図を示した、とした方が、僕の個人的な読みには適う気がするのである(*‘ω‘ *)
個人的希望ですが(^^ゞ
「更級日記」の「更級」の意味がやはり気になるところで。
作品の外に証拠を求めようとすると、これが絶望的に手がかりがない様子なので、なにか新しい発見などが出てこない限り、話は進展しようがない。
作品そのものに「更級」のイメージを探ることが正攻法だと思う。
これについてはお決まりの、詳しい説明というのがある。
菅原孝標女の夫、橘俊通が信濃守として赴いた任地にまつわるとか。
「姨捨の〜」の歌にまつわるとか。
いずれにしても「信濃」の地がその由来であると。
「更級」という名が明確に現実の場所、土地を示してしまうので、その説は揺るぎないように思えてしまうのだが。。。
僕には、これが全然納得できないのである。
理由はいくらでも挙げられるのだが、いかに「更級」という土地に関わりが深くとも、菅原孝標女本人はそこには行っていない。それどころか、文中に「更級」の地についての描写がない。
「あづま」から都に向けての旅の途中に通り過ぎた場所、滞在した場所についての描写などは、正確な場所を比定できない一方で、イメージ豊かに描写していたりする。作品の趣旨とはだいぶ違うのだろうけど、当時の紀行文として読むことにも堪えうる。
都での暮らしについても、その空気感、雰囲気を十分に伝えているし、住んでいた家、火事のあとに移り住んだ家などについても、印象の違いはわかりやすい。
出かけた先、お詣りの様子などもそう。
宮中でのお仕事の話もそう。
その場、そのシーンでの描写は冴えている。
もし、タイトルが土地や場所に依拠しているならば、少なくとも本文中に、それに相応しい「更級」の描写はあって然るべきであるところなのだが、それがない。
「姥捨の〜」の歌をもって、彼女の諦観が云々というのは、全編をほとんど無視した導き方で、解釈としてはいささか乱暴なキライがある。
人生に対する彼女の諦観というものを文章に書き起こすことが「更級日記」の目的なのだとしたら、他にいくらでも書きようがあっただろうし、この一首が詠まれた背景を説明するだけでことは足りてしまう。。。とても、「更級日記」が書かれる必然性に足りている、とは言えない。
「更級」を地名ではなく、字義で解釈してみる。
「更」と「級」。
「更」の字義で普通に思い浮かぶのは「更新」のイメージ。「かえる」とか、「あらたまる」とか。「更衣」(ころもがえ)の「更」の意味。
それと「夜更け」(よふけ)など、なにかが「深まる」感じ。
そして、「さらに」、その先、そのうえ、その続きへと、続いていくイメージがある。
「級」は、「階級」とか「等級」とか。「レベル」、「クラス」を思わせる。
それとは別に、「級」だけで「風」を思い起こさせるところもある。伊勢神宮内宮の別宮、「風日祈宮」に祀られる「級長津彦命」(シナツヒコノミコト)の「級」は「風」の意。
とりあえず、ざっと字義を見て、地名から引き剥がしたところで、「更級」を読み直せば、どんなイメージが見えてくるか?