りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

「はつはる」のチューニング

2025-01-05 04:33:33 |  日 記 

新 年乃始乃
波都波流能
家布敷流由伎能
伊夜之家餘其騰

新しき 年の初めの
初春の 
今日降る雪の
いやしけ吉事

大友家持がこの歌を詠んだのは正月一日なのだが、雪があたりまえに降っているところを見ると、旧暦のお正月、現在の節分のタイミングであるに違いなく(*‘ω‘ *)
こうしてあらためて注意してみると、季節感を言うにも、明治以降と、それより前とでは、見ている風景がだいぶ違うということを、まずは意識してしまう。

「日本」の季節感とは、僕らを取り巻く環境そのもの、土壌そのものとさえ言えるのだが、「暦」ひとつで、ずいぶんと見え方が変わってくる。。。というか、感受性にまで変化を強要してきたのだな、と。

僕にしても、「強要された変化」のあとの「日本」しか知らない。本来の「日本」、斯く在るべし!と、強く主張できるほどの確信はない。。。というか、その確信の土壌は最初から剥ぎ取られているわけで(^ω^ゞ
にも関わらず、同時に複数の「暦」を走らせる「複雑性」をあたりまえとしている(*‘ω‘ *)?!
この「感覚」は。。。「感覚」の話なので、一般化はとても難しいということは承知しているつもりだけど、実は多くの日本人が無意識のうちに抱えていて、「自然」な感覚とのズレをなんらかの作法で回収していたりするのでなかろうか?と思ったりする(*‘ω‘ *)

赤穂浪士が吉良邸に討ち入りを果たしたあの夜も、映像的には雪降る夜としておなじみ。討ち入り当夜は史実として12月14日とされているが、僕らの暦の上では1月の終わりになるとか。
ふむ(*‘ω‘ *)
なるほど(*‘ω‘ *)
実はまだ、「討ち入り」の夜にまで至っていないと(*‘ω‘ *)!

新年を迎えて、正月三が日を過ごして、すっかりお正月気分を満喫した。
だが、「複数」の「暦」が、あたりまえに、同時に走っているわが家( ・ิω・ิ)b
来たるべき「お正月」のための準備は、さらに念入りにする予定( ・ิω・ิ)g
そうすることで調うことがたくさんあることを、少なくとも僕は経験している。
これって、「自然」な「感覚」に自分をチューニングすることと同義なんだな((o(´∀`)o))
ひと月かけて、楽しくやっていきます(*^ω^)g

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