りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

「美女と野獣」の2本立て

2023-05-15 19:48:52 |  映 画 
フランス映画の「美女と野獣」が実写で公開されたことがあって、映画館に観に行ったことがある。そろそろ十年くらい前のことになるかな。
それをAmazonPrimeで見つけたので、雨降る週末の夜に、晩酌しながら、さっちゃんと見ることにした。

「懐かしい。。。はずなんだけど、こんなんだったっけ?」
さっちゃんのコメントはたいへんに正直なので、僕はお酒を吹き出しそうになってしまったのだけど、映画館で観たときも、似たようなことをおっしゃっておりました(^o^;)

あのときも、すごく期待してスクリーンを見上げたのだけど、拍子抜けするくらい、そして不思議なほどちゃっちいCGを見せられて唖然としたことを、すっかり忘れておりました(^o^;)
最後は笑いまでこみ上げてきてしまって(^o^;)
「美女と野獣」のイメージからは遠く離れた、別物を見させられた気分になった。CGはどんどん古くなっていくので、「これじゃない感」はさらに深まった。
ただ、せっかく時間をかけて、楽しく観たのだから、なんとかして「よかったところ」を見つけだしたい(*^ω^)b
ラストの平和な風景は、とてもよかった。
あんなお庭に囲まれて暮らせたらいいなって思えるくらい、美しいイメージ。
それが描けるのに、なぜほぼ全編が失敗に見えるのか?というのは、ほとんどナゾ。
肝心な「バラ」は、やたらと派手に散りばめられているというのに、あまり美しく感じないのもいけない。
なにか大切なことが欠けているとしか言えない。
そして、こうも思う。
「美女と野獣」のイメージは完璧にディズニーに奪われてしまったなと。

「残念でしたね」で、そのまま終わるわけにはいかないので、続けざまにジャン・コクトーの「美女と野獣」を見る(^o^;)
1945年のこの映画には、なにやら不思議な魔力が備わっている。特撮が特別に完璧というわけでもない。にも関わらず、ある種の完璧さと呼ぶべきものがこの映画にはある。
それは「細部に宿る」というよりは、「細部にまで貫かれている」と言った方がわかりやすい質的ななにかだろうと思うのだが、少なくとも、コクトーの映画を見終わって、ようやく僕らは落ち着けたε-(´∀`*)


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