りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

「小川晴暘」於 半蔵門ミュージアム

2024-12-28 05:12:48 |  Angelique
11月の下旬。
初めて、半蔵門ミュージアムの「運慶」を観に行った。
「運慶」については、これは紛れもない傑作と言い切れるレベルで、今後も折りがあれば訪ねようと思っている。
たいへんに幸運だったのは、この時、同時に「小川晴暘と飛鳥園 100年の旅」という写真展が開催されていたこと。
「小川晴暘」という名前を偶然に、ここで初めて認識したのだが、初めてのくせに、写真作品についてはどこかで見覚えがある。
見覚えのある「イメージ」。だが、最大限にまで大きく引き伸ばされたそのプリントが、こんなに美しい作品であったのか?!と。写真作品としてのあまりの美しさに、息を呑んだ。
その原版がガラス乾板?!
なんということだ。
写真として、たいへんにクオリティが高い。
ネガフィルムさえ捨て去った現代の写真技術。モノ(物質)を支持体としなくなった写真の利便性を否定するものではないけれど、出来上がる写真作品のクオリティのあまりの違いに、これはまったく別ジャンルの芸術であると認めざるを得ない。そう思った。

ガラス乾板は四つ切。
38cm×54cm。
ここまで大きいネガとなれば、写る世界が別モノになるのも道理。
感光剤を塗る、その支持体がガラスというだけで、どこか人の目に近い光の加減が実現したりすることがあるのだろうか?
あとから考えれば、そんなことを思うのだが、展示会場では「小川晴暘」という写真家の精神に圧倒された。じっくり観るだけでなく、会場を何周も回ってしまった。

「運慶」の衝撃もさることながら、「小川晴暘」が撮影した東大寺の四天王像や月光菩薩像、不空羂索観音菩薩像、新薬師寺の伐折羅大将像には心惹かれてしまった。
こんな風に、美しく観る眼を知ってしまったからには、その観方というものを確かめてみたくなる。
シンプルに、奈良へ行きたい、と思った。


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