長谷川潔氏がまったく同じモチーフ、まったく同じタイトルで2度も彫った作品がある。
「水浴の少女と魚」。
初めの作品は1925年。氏34歳のときのもの。
もうひとつは1971年。氏80歳。
銅版画としては、おそらくは氏の最後の仕事と言うべき作品がこれにあたる。
シンプルな画題は氏の真骨頂ではあるけれど、初めの作品は小さいながらも、後のマニエール・ノワールの傑作群を予感させる画だなぁと、若い頃の僕は思っていた。
ファンタジックな小品。
長谷川作品が大好きなのは認めるところなのだが、自分がこの小品をここまで愛することになるとは、当時は微塵も予感できなかった。
1925年は氏が初めてパリで個展を開いた年。ここで発表された作品はそのほとんどが名作と言い切れる。この小品もまた、豊穣の年に生み出されたもの。
複製画ではあるのだけど、この最初の「水浴の少女と魚」を額装した。
マットをお願いするにあたって、ちょっと工夫したいことをお伝えしたのだけど、担当の方がその思いをしっかりと受け止めてくださって、とてもステキに仕上げてくださって。
さっちゃんが殊の外喜んでくれたのだけど、その理由が「僕の好きな画」をやっと飾ることができたから。
そんなことを言われた日には、もののあわれを知らぬ身であっても、膝から崩れ落ちてしまうくらい、うれしい気持ちになる。
思うだけで、今までずっと手を付けてこなかったのだけど、もっと前に、もっと素直に、自分の思いを引き出してあげられたらよかったなぁと。毎朝、この作品を見るたびにそんな思いがする。
そして、そういうことのひとつを、ようやくだけれど、ちゃんと実現できたんだ、とも思う。
放っておくと、ホントにいつまでも眺めているのだが、好きというだけでなく、ちゃんとできた!という思いがあって。
慰めとか、満足とか、そういうこと以上の何かを僕にもたらしてくれている。
1971年の「水浴の少女と魚」を見ていると、画の構想はまったく同じでありながら、技術的にはさらに精緻になり、画面はさらに大きく明るく、クリアでありながら、よりファンタジックに昇華されているように見えてくる。なんだか最初の画よりも画面が新鮮に感じるは、小さな「魚くん」にスピード感があるせいか?版が格段に大きくなっているにも関わらず、だ。
あらためて、これが氏80歳の時の作品だということを思い出す。
これはどこまでも僕の想像の範疇を出ない話ではあるのだが、氏の中にあっては、画の構想自体は微塵も揺らいでおらず、世に賞賛された氏の技術よりも、氏の想像力の方が常に勝っているということなのではないか?と。
年を経るごとに、どんどん純粋になっていく精神を見る思いがするのだ。あるいは、純粋さに技術が追いついていく過程を見せてもらっている、とか。
1971年の作品については、わが家の壁に飾れるような複製画は存在しないが、それはさほど問題ではない。わが家の壁にオリジナルが加わることがあるなら、正しく完璧なことではあるのだけれど(^ω^ゞ
どんどん純粋になっていくイメージのダイナミズム。このイメージが僕らの生活に寄り添うのなら、僕らにとってはそれで200%だ。