りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

道具としての「風と共に去りぬ」

2022-07-28 23:13:14 |   本  
どうも「うますぎる」感じがして仕方ないのだ。
この頃「風と共に去りぬ」はポリティカル・コレクトネス的にNGということになっているらしく。。。「本」も「映画」も。
「らしい」というだけで、そのあたりの実態を詳しく知っているわけではないのだけれど、キャンセルカルチャーによって象徴的生贄のように扱われている様子を耳にするだけで、ざわざわっとした感じがする。
僕自身はまったく別の観点から、長年にわたり「風と共に去りぬ」に対してネガティブな立場にいる。
だけど、マーガレット・ミッチェルの描写が差別的だとか、そんな風に思ったことは一度もない。

作品が発表されてから今日にいたるまで、いろんな意味で物議を醸し続けてきた稀代の「物語」であるが、21世紀に入ってもうだいぶ経ったはずの現代においてさえ、いまだに燻り続けている「物語」というのは、すでにして「文学」とは言い難い別のなにかになってしまっているようにさえ思えてくる。
どれほどの風が吹き荒ぼうとも、その姿が消えることがないのはタイトルに反した皮肉か?
風と共に去る気配はこれっぽっちもない。
この時代。むしろ、ポリコレ側、キャンセルカルチャー側が便利に使う道具立てのひとつになってしまっているかのよう。

そう。そうなんだ。
どこか「道具」みたいに便利なのだ。この小説は。
「文学」とは別のなにかの機能がある。
その機能を便利に使っている側がいつも同じメンツであるような気がして仕方ない。




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