りゅういちの心象風景現像所

これでもきままな日記のつもり

Afternoon Tea (2)

2010-09-26 06:31:25 |  Angelique
一年前の秋にも、こちらのアンティーク屋さんは出展されてて、僕らはそのときも「ふわふわ~」っと誘われるように見に行っていました。お話によればこちらの伊勢丹では3回目とのことなので、僕らは2度、お会いしたことになります。前回は6Fギャラリーで大々的に展開されていたこともあって、目もくらむばかりの品揃えでした。そのときに「これいいな」と気に入っていた銀器のうちのいくつかは、今回もやってきていました。
冒頭のエスプレッソ用のポットはそのうちのひとつ。イタリア製なのだそうです。こういう小ぶりの「おひとりさま用」ポットは贅沢すぎるなぁと思いつつ、どんなカップを合わせたらいいかな?なんて考えるのは楽しい。自分の書斎でちょっと一服。。。なんてね。いいなぁと。

 

あつかましくも「写真を撮らせていただいてもよいですか?」とお願いしてみたら「もちろん、どうぞ!」と太っ腹なお返事。それじゃぁ!と図々しく(でもやっぱり遠慮がちに)写真におさめてきたのですが、たくさんお話をさせてもらっているうちに、Angeliqueであつ~く語り合ったことなどがあふれるようによみがえってきました。アンティークを通して語ることって、気付けば、自分のゆずれない生活観のことだったりするものです。モノをモノとしてだけ見ていたらそういう話はできないわけで。ある種の生活哲学とも呼ぶべきフィールドがあって、それがAfternoon Teaのようにかつての女主人が開いた「場」においてどんな風に実現されていたのか?とか。いろいろ興味をかき立てられることがありますが、例えば紅茶を介して人をつなげていった(あるいは斥けていった)文化的プロトコルを探ろうとすれば、こうしたアンティークほど美しく雄弁な証言者はいません。
「場」としてのAfternoon Teaが他愛ないおしゃべりのためにあったとするなら、なおさらです。

 

ただもう一方で、目の前に「ポンッ」と置かれているだけで、「う、うつくしい」とこちらが身悶えしてしまうような存在感に変に複雑な理屈は必要なかったりします。毎日の食卓にこれがあったら。。。と考えずにはいられないもの。
社会的、歴史的背景から切り離されても、よいものはよい、と。
知れば知るほど語りたくなるウンチクの世界がすぐ脇に見えるので、ついついそちらにコースアウトしてしまいがちなんですけど、本当の満足はそちら側のコースにはないのです。

  



「今日はカルチャースクールの先生が1時間ほどここで講座をひらくのでぜひ」と誘われて、運良く参加することができた日だったのですが、「いまさら聞けない基本の基本」から、アフタヌーン・ティーの歴史的な背景などまで、おもしろいお話をたくさん聞かせていただきました。前回の記事に掲載した素敵な銀器の数々は、こちらの先生の私物だったりします。「20年かけてあつめました」とにこやかにおっしゃっていました。なるほど!どおりで使い慣れているはずです。それから美しい声。語り口もチャーミングなこの先生は元NHKのアナウンサーだったとか。優雅さって、やっぱりモノにあるのではなくて、それと向き合っている人に備わるべきことなんだって、あらためて気付かされました。こういう人が開くAfternoon Teaに一度およばれされてみたいな。




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