「文学少女」=「ヲタク」として、わかったように語られることが多い菅原孝標女。「現代の文学女子に限りなく近い」とか、「ヲタクと同じバイブス、持ってますよね〜」的な紹介のされ方は、わりと古くから続いてきたパターン。言い方はいろいろあれど、ほとんどおんなじことを言っているので、ほとんどクリシェと化している。
謎が多い彼女について、わかっていることというのはそんなに多くはないはずなのだが、「更級日記」の作者として、あるいは少女時代を懐かしむようにして描かれた冒頭の印象が、かの才媛を「可愛らしい」存在に押し留めているような。「少女」の部分だけがクローズアップされることが多い気がするのだが、扱いとしてはかなり不当である。
過小評価も甚だしいのでは?と、高校の頃から、わたくし、僭越ながら思っておりまして。
少なくとも、「菅原孝標女」=「文学少女」=「ヲタク」というラベリングは、より多くの人々に作品を知ってもらう上ではわかりやすい作戦なのかもしれないけれど、作品そのものを読ませることには、ちょっと失敗しているというか、ほとんど邪魔しているのではないか?とさえ思える(´ε`;)
まぁ、受験用のテキストとしてだけなら、それで十分なのかもしれないのだが。
受験っていうのは、いろいろを紹介するには恰好の場であるが、いろいろを知ったつもりでスルーさせてしまうのがなんとも。。。
「更級日記」について、なにかを言おうとすると、構成の妙と言うか、イメージの連絡の仕方から、作品を簡単に要約したなにかを引き出すことができず、極めて多義的な読みに誘われてしまう。また、その誘いに素直に乗ってみる方が面白く読める。
難しくて読めないということは全然なくて、むしろわかりやすく、テンポよく読めてしまう。これがクセモノ♪
どちらかといえば軽妙な筆と言えるはずなのだが、軽いだけではもちろんない。
この多義性を構成の妙と捉えることも確かに可能なのだが、なにかしら「モデル」となった先行する有名文学作品を彷彿とさせるところがあちこちにうまい具合に散りばめられており、サンプリング文学とも、カットアップ文学とも言えそうなところが多分にあるし、こういう言い方が正確かどうかは別にして、僕にはポストモダン的文学とも言えそうな、イメージの帝国で暮らしているかのような、そんな世界観に近いものを読み取ってしまうのである。
更級日記はそのはじまりが「紀行文」の体裁ではじまっているけれど、「はじまり」がすでにして複層的に出来上がっている。
平安の「日記文学」は、紀貫之の「土佐日記」にはじまるとされているわけだが、「土佐日記」は同時に「紀行文学」の側面を持つ。
「日記文学」は、そもそもからして「紀行文学」として始まったとすることもできる。
そしてここにもうひとつ。東下りの「紀行文学」的側面を持つ「伊勢物語」のことも忘れてはならない。作品中、在原業平の名が呼び出されてもいる。但し、「更級日記」の旅程は「伊勢物語」とは逆で、東から京へと向かうわけだが。
そして、「更級日記」においては、「源氏物語」からの直接の影響を隠すことはない。むしろ、作品が生み出される動機に「源氏物語」がはじめから名指しされている。
そういう意味で、「更級日記」は「人生」の「紀行文」として読むこともできるし、「物語」についての「物語」として読むこともできる。
「物語」を愛しすぎた作者。
彼女は晩年において、「自分の人生」の「物語化」を意図していたに違いない。
僕にはそんな風に読めて仕方ないのである。
謎が多い彼女について、わかっていることというのはそんなに多くはないはずなのだが、「更級日記」の作者として、あるいは少女時代を懐かしむようにして描かれた冒頭の印象が、かの才媛を「可愛らしい」存在に押し留めているような。「少女」の部分だけがクローズアップされることが多い気がするのだが、扱いとしてはかなり不当である。
過小評価も甚だしいのでは?と、高校の頃から、わたくし、僭越ながら思っておりまして。
少なくとも、「菅原孝標女」=「文学少女」=「ヲタク」というラベリングは、より多くの人々に作品を知ってもらう上ではわかりやすい作戦なのかもしれないけれど、作品そのものを読ませることには、ちょっと失敗しているというか、ほとんど邪魔しているのではないか?とさえ思える(´ε`;)
まぁ、受験用のテキストとしてだけなら、それで十分なのかもしれないのだが。
受験っていうのは、いろいろを紹介するには恰好の場であるが、いろいろを知ったつもりでスルーさせてしまうのがなんとも。。。
「更級日記」について、なにかを言おうとすると、構成の妙と言うか、イメージの連絡の仕方から、作品を簡単に要約したなにかを引き出すことができず、極めて多義的な読みに誘われてしまう。また、その誘いに素直に乗ってみる方が面白く読める。
難しくて読めないということは全然なくて、むしろわかりやすく、テンポよく読めてしまう。これがクセモノ♪
どちらかといえば軽妙な筆と言えるはずなのだが、軽いだけではもちろんない。
この多義性を構成の妙と捉えることも確かに可能なのだが、なにかしら「モデル」となった先行する有名文学作品を彷彿とさせるところがあちこちにうまい具合に散りばめられており、サンプリング文学とも、カットアップ文学とも言えそうなところが多分にあるし、こういう言い方が正確かどうかは別にして、僕にはポストモダン的文学とも言えそうな、イメージの帝国で暮らしているかのような、そんな世界観に近いものを読み取ってしまうのである。
更級日記はそのはじまりが「紀行文」の体裁ではじまっているけれど、「はじまり」がすでにして複層的に出来上がっている。
平安の「日記文学」は、紀貫之の「土佐日記」にはじまるとされているわけだが、「土佐日記」は同時に「紀行文学」の側面を持つ。
「日記文学」は、そもそもからして「紀行文学」として始まったとすることもできる。
そしてここにもうひとつ。東下りの「紀行文学」的側面を持つ「伊勢物語」のことも忘れてはならない。作品中、在原業平の名が呼び出されてもいる。但し、「更級日記」の旅程は「伊勢物語」とは逆で、東から京へと向かうわけだが。
そして、「更級日記」においては、「源氏物語」からの直接の影響を隠すことはない。むしろ、作品が生み出される動機に「源氏物語」がはじめから名指しされている。
そういう意味で、「更級日記」は「人生」の「紀行文」として読むこともできるし、「物語」についての「物語」として読むこともできる。
「物語」を愛しすぎた作者。
彼女は晩年において、「自分の人生」の「物語化」を意図していたに違いない。
僕にはそんな風に読めて仕方ないのである。